物語は,伝わることで命を持つことができるのです。
『失われたものたちの本』 ジョン・コナリー 作
この本(物語)を読むと,こんなにも本が好きで,こんなにも物語が好きな主人公が登場する本(物語)を読むことができる幸せを感じられるだろう。
本の中にはたくさんの物語が登場する。物語の中に出てくる物語。何をいっているのか分からなくなってきたが,そういう物語なのだ。
主人公デイヴィッドは,本(物語)を読むことが大好きだった。大好きなお母さんとつながっていられる幸せをもたらしてくれたのは本だった。
誰かが読みだすと,物語は変わりはじめます。人の想像力に根を下ろし,その人を変えてゆくのです。物語は読んでほしがっているのよ,と母親は囁きました。
『失われたものたちの本』 ジョン・コナリー作 田内志文訳
物語は読まれたがっている。本は開いてほしがっている。本のささやきが聞こえたなら,開きにいこう。物語の世界へ没入しにいこう。
以降,ネタバレを含みます。
『失われたものたちの本』概要
さすがに触れないわけにはいかないので少しだけ触れるが,あくまでも今回は『失われたものたちの本』の感想なので,本当に少しだけ。
宮﨑駿の最新作『君たちはどう生きるか』の原作といってもいいくらい似ているところがたくさんある。
宮﨑駿自身,この本の帯に❝ぼくをしあわせにしてくれた本です。出会えてよかったとほんとうに思ってます❞と推薦コメントを寄せているほどだ。
かくいうぼくも,映画『君たちはどう生きるか』を見てからこの作品を知った。ぼくも宮崎駿と同じ気持ちで,本当に出逢えてよかったと思った。
現実こそ最も残酷な世界
この新しい世界はとにかく苦しくて,立ち向かうことなどできそうにありません。あんなにひたむきにがんばったのに。あんなに気をつけて数をかぞえたのに。彼はあんなにもちゃんと決まりを守ったのに,世界は残酷なのでした。
『失われたものたちの本』 ジョン・コナリー 作
「新しい世界」とは,母親がいない世界。母を愛する父親がいなくなった世界。自分の居場所がなくなった世界。生きる意味を失った世界。
デイヴィッドにとって現実世界は,どんな物語の世界よりも恐ろしく残酷で孤独な世界になったことが分かる。
物語とは脳内であり空想
どの物語にも必ず何か学ぶべきものがあるはずです。
『失われたものたちの本』 ジョン・コナリー 作
このお話の中で,【物語】とは【物語】である。え,意味不明だって?あらゆる物語である。物語は,人の脳内でつくられる。言い換えると,その世界をどう見ているかということでもある。空想の世界である。
デイヴィッドは,お母さんと毎日のようにいくつもの物語にふれてきた。お母さんがいなくなってからも,いつもたくさんの物語にふれてきたのだ。そのすべての物語をどのようにデイヴィッドがみていたかが,あの世界そのものであり,そこに登場するちょっとおかしな童話,物語の世界なのだ。
そのすべての物語から学ぶべきこと。つまり,デイビッド自身の人生すべてから学ぶべきことがある,という意味になる。
❝物語は読まれることで,その人の想像力に根を下ろし変わりはじめる。その人自身も変わる❞とお母さんに言われたことがそれを裏付けている。
すでにこの時点では,絶体絶命のピンチでありながら,❝作戦を練り始めたのです❞と前向きで,勇敢なデイヴィッドに変わり始めている。
デイヴィッドは,お母さんとの思い出やつらくて残酷な世界など経験してきたすべての人生をつかって,すべての困難に立ち向かうのだ。
生きることの代価
何を得るにも代価は支払わねばならないものだし,だったら首を縦に振る前にその代価とは何かを知っておいたほうがいい。
『失われたものたちの本』 ジョン・コナリー 作
デイヴィッドからすれば,現実世界に帰れるかわりに,弟の名前を教えるということ。
ねじくれ男としては,デイヴィッドを王にする(つらい現実から解放させてあげる)かわりに,弟の魂をいただくということだが,それだけではない。
デイヴィッドが王になってしまうことは,すべてを失うことでもある。弟を失うことでもあるが,人生そのものを奪われることなのだ。つらいことも,たのしいことも,かなしいことも,今後のデイビッドがしていく経験すべてを失う。それは,自分の空想や物語を失うことでもある。
自分の人生そのものを失うこと。生きてなお,考えることも想像することも奪われることは,死よりもつらいことかもしれない。(わからないが。)
生きることの代価は,避けることのできない残酷な現実ということを意味している。
それだけ【生きることの価値】は,本来代え難いものなのだろう。
ぼくたちは,知らないうちに【生きること】を得た。何を代価に【生きること】を得たのだろうか。生きることはそんなにも価値があることなのだろうか。
それは追々かくとする。
勇気はその都度
あんなに勇敢に立ち向かったのですから,母親のためにまた同じ勇気を振り絞らなくては。
『失われたものたちの本』 ジョン・コナリー 作
ローランドの指摘通り,途中からデイヴィッドはどんなことにも恐れない姿が描かれるようになってはいるが,上記引用の言葉があることで,勇敢さは簡単に染みつくものではない。いつでも出したり収めたりできるものではないことが分かる。
どんなに経験を積んで,恐ろしい魔獣や化け物に打ち勝とうが,いつも怖いんだ。恐怖に打ち勝つには,心が必要だ。勇敢さは振り絞るものだ。
デイヴィッドがほしかったもの
その本には魔法なんか書かれていない。あなたの秘密が書かれているだけさ。哀れで邪悪な老いぼれだよ,あなたは。王国も玉座もほしいままにすればいいじゃないか。僕はいらないよ,そんなもの。ほしいとも思わない。
『失われたものたちの本』 ジョン・コナリー 作
王国も玉座もいらないデイヴィッドがほしかったのは,【生きること】だった。
もとの世界に戻ることだった。
空想の物語の世界から現実のつらい世界に戻ることだった。
自分の現実と向き合い,生きていくことだった。
自分が自分になることだった。
現実を生きるからこそ,空想することができる。物語を描くことができる。
これこそが,生きることへの代価なのだ。
生きる価値
お前が必死に戻りたがっている世界の真実を教えてやる。あそこは,苦痛と苦悩と悲嘆の世界よ。
『失われたものたちの本』 ジョン コナリー作 ねじくれ男
もうそんなことは分かりきっていた。苦痛と苦悩と悲嘆の世界からやってきたわけだから。
そんなことは覚悟の上で,【生きること】を選択した。
自分という人間を理解したのだ。
生きていてよかった
結果的に,ねじくれ男のいう通りの人生になった。ねじくれ男のいうことは間違っていなかった。
現実は,想像以上につらく,生きることの代価は高くついた。
それでも生きていてよかった。
自分の理想の父親が,木こりの姿をしていたこと。自分を犠牲に助けてくれたこと。助けてほしいときにいてくれなかったこと。最後には自分の理解者となってまた現れてくれたこと。
自分の物語,人生のすべてをかけて自分を取り戻し,どんなにつらい人生だとしても立ち向かった男の話。
それでも【この世は生きるに値する】
宮﨑駿を幸せにした理由がよく分かった。
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