育休中の30代が『定年をどう生きるか』を読んで学んだ心得【読書感想】

育休中に読んだ本
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育休中は,育児や家事を生活の中心に据え,日々を過ごしているわけだが,育休をとってよかったことの1つとしては,自分の親と会う機会が増えたということだ。

定年退職した後,週4日働く父親と,祖母の介護が生活の中心になっている母親とよく会う。会う中で,今までしてこなかった話もよくしている。過去,現在,未来のこと。

1歳の子を連れて,会いに行くことが増えてきたある日,親に対して思った。

育休ぼく
育休ぼく

悠々自適とは言わないまでも,まだ60代前半や半ばで,老いてほしくないな。

ということもあり,育休中にふと感じたこと。

育休ぼく
育休ぼく

もしかして,定年退職者と少し似ているところがあるのではないか…。

 もちろん,同じにしてはいけない。たかが10数年勤務し育休取得をしたぼくと「似ている」と言えば,勤続30年以上も会社や日本社会に貢献してきた方々に怒られてしまう。

 では,何が似ていると感じたのか。語弊があるかもしれないが,退職者にしろ,育休中のパパにしろ,様々な状況があるので一概には言えないが,個人的に似ていると感じた部分が以下である。

  • 仕事をしていない。
  • 家にいる時間が長くなる。
  • 奥さんとの時間が増える。
  • 「自由」な時間が増える。

実家の書棚に定年に関する本がいくつかおいてあったので,借りて読んでみた。

今回は『定年をどう生きるか』

育休パパ
育休パパ

なんかブログのタイトルと似ているな

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このブログは,あくまでも読書感想で,誤った解釈をしている可能性があります。本を読んで今の自分が感じたこと,考えたことを書くに過ぎないので,本書の解説文でもなければ,要約でもありませんのご注意を

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『定年をどう生きるか』の概要

著者情報

『定年をどう生きるか』

SBクリエイティブ (2019/6/6)

著者名:岸見一郎

哲学者。1956年京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。専門の哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的に執筆・講演活動を行っている。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(ともに古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『アドラー心理学入門』(ベスト新書)、『生きづらさからの脱却』(筑摩選書)、『アドラーをじっくり読む』(中公新書ラクレ)、『幸福の哲学』(講談社現代新書)、『老いる勇気』(PHP研究所)、『成功ではなく、幸福について語ろう』(幻冬舎)、『プラトン ソクラテスの弁明』(角川選書)など多数。

著者情報は,とても参考になる。どんな人が書いたか知ることで視点が分かるからだ。同じジャンルの定年本でも,精神科医の和田秀樹さん著の『70歳の正解』や『80歳の壁』は,医学の面から心と体の健康を前提として専門的な知識に裏打ちされた定年論を展開している。

『定年後 50歳からの生き方,終わり方』の著者である楠木新さんは,一般企業で働く傍ら「仕事」や「働き方」をテーマに取材・執筆をしてきた方なので,実際の長く企業で勤めてリタイアした人にとっては,共感する部分も多いのではないだろうか。

さて,今回の『定年をどう生きるか』の著者である岸見一郎さんは,大ベストセラー『嫌われる勇気』の著者でもある。一時期(今も?),流行った(主観だが)【アドラー心理学】の研究者である。ということで,きっと中身は,アドラー心理学をもとに,定年後の生き方についての心得のようなものが書かれているのではないか,と想像できるわけだ。

定年本だからといって,なめてはいけない。定年をどう生きるかについてのヒントは,おそらくどの世代の生き方にもヒントになる。

本ブログの本記事では,印象に残った「言葉(文章)」を引用し,それについて,考えたこと,感じたこと,今の自分に当てはまることなどを書く。

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いつだって人生は本番

なぜ努力しなくなるのかといえば,結果が出ることを恐れるからです。

『定年をどう生きるか』岸見一郎 著 第1章 なぜ「定年」が不安なのか

現実はこうなのだといってしまったら,そこから先には進めなくなります。現実はこうだが,そうであってはいけないと考えなければ,現状を変えていくことはできないのです。

『定年をどう生きるか』岸見一郎 著 第1章 なぜ「定年」が不安なのか

何をするにしても,成功と失敗でしか判断できない人はいるなと思った。やったことに対して,よい結果がでないと損したという気持ちになる人もいる。

何もしなければ,成功も失敗もない。だから何もしない。結果に恐れなくて済むから。

ただ,その時,その瞬間に悪い結果だと思ったとしても,のちの自分に生きてくるということは往々にしてあるし,自分にとっての失敗でも誰かにとっては成功かもしれない。

今の自分にとっての失敗は,たいてい未来の自分にとっての成功とまではいかないまでも,その糧になることは十分ある。

だから挑戦していきたいものだ。どう思われるか分からないが,自分にとって,「育休取得」も挑戦だった。周りの目,職場への迷惑,自分のキャリア,家族の理解,【やったことのないことをする】というのは,いつだって挑戦だ。

何をするにしても,成功か失敗かだけではない。きっと,その間にいくつもの色があり,照らす角度さえ変えれば,輝くこともあるし,濁ることもあるだろう。その時,濁っていたとしても,自分の成長や時間の経過とともに,ろ過されてむしろ美しくなることだってあるかもしれない。

「今はまだ新人だからできない」「そろそろ若い人にやらせたいから自分はやらない」「もう年を取ったし,何もしないことが安全」などという気持ちでいては,芽を出さず枯れていくだけなのかもしれない。

いつだって,自分の番。人生はどんなときも本番だ。

とはいえ,自分ばかりでもダメ。というのは,言うまでもないことだ。

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子ども時代の自分,子育てをする自分

人からどう思われるか,人からの評価を恐れるのは,子ども時代に始まったことですが,大人になってからも同じことが続きます。

『定年をどう生きるか』岸見一郎 著 第2章 定年に準備は必要か

アドラー心理学なんだろうなということが随所に書かれている。大昔に『嫌われる勇気』を読んだ気がするが,他者からの評価について【あの人の欲求を満たすために生きていけない】というようなことが書かれてあった。

どうでもいいとはいかないまでも,他人の評価を第一に生きていたら,その他人が望む自分になってしまう。自分はどこにいったのか。自分は誰なのか。自分らしさとは。気づかないうちに,無意識のうちに,自分を失くしてしまう。

【子ども時代に始まる】という言葉を見て,たしかに親や学校の先生の顔色を窺って,ほめられたくてやっていたなと思い出す。ほめられることは立派なことだし,大人がほめることって,ほめてコントロールしたいだけでしょう?って思うこともあるけれど,正しく,結果だけでなく,過程をほめてあげることで,努力の過程を嫌がらない子になってほしい。

ただ「すごいね!」「100点とってすごいね!」とほめるのではなく,「それができるようになるためにがんばったことがすごいよ!」とか「100点とるためにどんな勉強をしたの?」とか,そのプロセスに価値があると伝えられる大人でありたい。

子どもの長所を見ることができない親に育てられた人が大人になった時,自分の長所をいえないのは当然ともいえます。

『定年をどう生きるか』岸見一郎 著 第2章 定年に準備は必要か

上記の話とつながるが,自分の長所は,「100点とることです!」ではなく,「決めた目標を達成するために努力できることです!たとえば,毎日時間を決めて,○○~」のような感じで。

何をどう褒めるかで,子ども自身が何を得意として,何を自分の長所としていくのか,一生の問題になりそう。

不思議と,自分が長所だと思うことって他の人に負けたくないし,逆に短所だと思い込んだら,勝とうが負けようがどうでもよくなる。

「努力することだけは負けない!」っていう自分には到底なれなかった。自分の子にはそんな人間になってほしいな。

とはいえ,あくまでも主体は子どもにあることが大前提。

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働くことは誰かのためになること

自分がしている仕事に貢献感をもてなければ,仕事を続けることはできません。(中略)貢献感がどういうものかは子どもの頃から貢献する機会があった人には説明しなくてもわかります。

『定年をどう生きるか』岸見一郎 著 第3章 あらためて働くことの意味を問う

定年退職された方というのは,何年も何十年も,しんどかろう,つらかろうと,どんな時も仕事をし続け,社会に貢献し続けてきたと考えたら,本当に途方もない。せいぜい自分は10年ほど。

今,育休中だが,仕事に貢献感はあるのかと自問してみると,めちゃくちゃある。今,戻ってもものすごく貢献できる自信がある。うぬぼれているわけでも,慢心でもなく。

ただ,自分が子どもの頃に,いわゆる貢献したかと言われると,全くしていなかったと思う。迷惑しかかけていない。本当に親に,大人に,周りに嫌われて,他人に迷惑をかけることばかりしていた。

何かを成し遂げなくても,こうして生きて働いていることが,そのままで他者に貢献しているということです。

『定年をどう生きるか』岸見一郎 著 第3章 あらためて働くことの意味を問う

これも,いわゆるアドラー心理学っぽくて,こういった言葉に救われる人はたくさんいるのではないだろうか。

特に,会社勤めでずっと働いてきた人からすると,分かりやすい形でやったことがそのまま成果となり,賞与に反映され,それなりの肩書もつくといった生活から,退職すると,自分には価値があるのかなんて思い悩む人もいるのではないか。

そうでなくても,仕事をいくらがんばっても上司の期待や求められるような成果をあげられない人が無価値なわけはなく,上記の引用をした言葉のように,生きていること働くことそのものが貢献していると自分で思えたら,仕事も人生も明るくなるのではないか。

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愛って…?

他者が自分の期待を満たすために生きているのではないことを知らなければなりません。自分も他者の期待を満たすために生きているわけではありませんが,同じことを他人にも認めなければなりません。

『定年をどう生きるか』岸見一郎 著 第4章 家族,社会との関係をどう考えるか

この言葉は,子育てをする自分にとって,心に留めておきたい言葉である。子どもを意のままに操ってやろう!なんて微塵も思わないが,あるとき,自分の思い通りにならないときに,イライラしてしまうことがある。

こうしてもらいたいと思うことをしなかったら,怒ってしまうことさえある。

そうだ。子どもは親のために生きているわけではない。

この本には,しきりに,「子どもとも対等の関係を」というようなことも書かれている。

【他者を愛し始めることによってのみ,自己中心性から脱却し,そこから解放するのです。】という言葉だけみると,何やら怪しく感じてしまうのは,ぼくだけではないでしょう。

「愛とは何か」なんてここで持論を展開するつもりはない。自分の思いに応えてくれないから嫌いとか,自分の言う通りにしない人はみんな嫌いとか,そんなことはありえないし,自分が親の期待に応えないからといって,親はぼくを嫌ったりしない。

愛というか,家族というか,親子ってそんな感じではないかな。

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終わり良ければ?終わり悪くても?

終わりよければすべて善しと考える人は,人生で成功することが善いことだと考えています。しかし,人生を成功の観点からだけ見ることが唯一絶対の見方ではありません。

『定年をどう生きるか』岸見一郎 著 第5章 幸福であるために
育休ぼく
育休ぼく

いやぁ,おもしろい。同じ定年本でも,「終わりよければすべてよし!」という本もあれば,

上記のような本もある。本当におもしろい。

大切なのは,鵜呑みにしないこと。

定年前,しんどくてあまりいい思いをしなかった人からすると,「終わりよければすべてよし!」で気合を入れて,すばらしい定年後を過ごすこともあるだろうし,

たしかに,ぼくもかいた通り,人生を成功か失敗かだけで判断するのは,短絡的過ぎて,深みも広がりもない。

あまりこういった話題とは結びつけたくはないが,世の中には本当につらい最期を迎えた人がいる。自ら命を絶った人もいる。その人たちに「終わりよければ」なんて言葉はかけられない。何も言えなくなってしまう。言う必要もないし。

ただ,その人それぞれ,自分がより良く生きていける素敵な言葉と出逢ってほしい。

というところで,この本の最終章にこのタイミングにふさわしい言葉を引用する。

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読書には人生を変える力がある

読まなければならない本などありませんし,書かれている内容を知るために速読する必要もありません。どんな本であれ,読んでいる時に楽しいと思えたらいいのです。

『定年をどう生きるか』岸見一郎 著 第6章 これからどう生きるのか

この本のしめくくりは,定年後の読書について書かれている。見出しの言葉も引用したものである。

本を読んでいると,これだ!と思える言葉に遭遇することがある。意図せずに,自分の目の前に現れ,それが欲しいと思えるような言葉が。

おそらく,今の自分でないと,ひっかからないような言葉もある。昔の自分だともっとちがう言葉にアンテナが反応したかもしれない。

反対に,未来の自分が読んだら,なんてことなく通り過ぎていく言葉で,昔反応しなかった言葉に新たに反応するかもしれない。

仕事をしていたときに,育休や育児について意識が向いてなかった。ましてや,定年後のことに意識が向いたのは,育休中の自分の立場の類似点に気づいたこともあるし,親との関わりも増えたからだろう。

何にせよ,おもしろい。

知ることは。学ぶことは。

最後に,これまた今の自分のアンテナに反応して離れようとしない言葉を引用して終わろうと思う。

定年後は何か新しいことを学ぶとしても,また若い頃,学んだことを学びなおすにしても,有用性や義務感から離れ自由に学ぶと,毎日の時間の経ち方が違ったふうに感じられるようになります。

『定年をどう生きるか』岸見一郎 著 第6章 これからどう生きるのか
育休ぼく
育休ぼく

これも定年後に限らない。いつだって人生は本番だから!

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