アニメ映画化された本作『窓ぎわのトットちゃん』。ぼくは映画を観ていない。映画好きな友人から「映画が好きすぎて原作も読んだ」ということを聞いて,原作を読んでみた。
これは最高の教育書だ!と思った。子どもと関わるすべての大人が読むべきだと思った。特に,育児をしている人。幼児教育や初等教育,公教育に関わる人。必ず読んで,育児の在り方,教育の在り方,学校の在り方について考えてほしい。
黒柳徹子さんの自伝的小説,児童文学に分類される本ではあるが,これを大人が読むことで子どもとの関わり方,教育や育児の基本姿勢が学べるということで,ぼくは【最高の教育書であり,育児書】だ!と思った。
もしかしたら,このトットちゃんが過ごした【学校】こそ新しい時代の在るべき学校の姿なのではないだろうか。
『窓ぎわのトットちゃん』概要
黒柳徹子さんというと,ぼくたちの世代からすれば,『徹子の部屋』のイメージが大半を占めていて,よくおしゃべりする人,誰とでも仲良く話す人,人から話を引き出す人といった印象しかない。
普段,対談番組には出演しないような人から,今が旬の話題の俳優やお笑い芸人や文化人など幅広く出演者がいることを考えると,大御所中の大御所といったところなのだろう。それでも,いつも偉そうにしている様子もなく,どんな人にも同じような対応をされているのがまたすごいなと思っていた。
それくらいの印象だった。『窓ぎわのトットちゃん』を読むまでは。
今回は,本編に出てくる台詞を引用しながら,この本の魅力やなぜ【今の学校に必要】だと思ったかなどを視点に取り上げていきたい。ネタバレをたくさん含む。
子どもの「やりたい!」を学びに
「さあ,どれでも好きなものから,始めてください」
『窓ぎわのトットちゃん』 黒柳徹子
国語でも,算数でも,自分のやりたい教科から勉強をはじめていいということ。たしかに,今の教育のカリキュラム上,一斉指導やグループ学習といったこともたいせつだということは分かる。
でも,画期的。80年以上も前にこんな斬新な学校があったとは!!
この授業のやりかたは,上級になるに従って,その子供の興味を持っているもの,興味の持ちかた,物の考えかた,そして個性といったものが,先生にはっきりわかってくるから,先生にとって,生徒を知る上で何よりの勉強法だった。
『窓ぎわのトットちゃん』 黒柳徹子
すべての授業でこういった方法がとれなくても,単元によって,授業の内容によっては,自分がやりたいことからはじめ,分からないことはどうして分からないのか,先生に聞くなり,自分で調べるなり,友達に聞くなりして,学習に向かう。そんな授業があってもいいと思った。
自らやろうとしたときと,与えられてやるときでは,学びに向かうテンション,それは吸収力と言い換えることもできるが,全く得られるものの大きさがちがうと思うのだ。
遊び・発見こそ学び
子供たちにとって,自由でお遊びの時間と見える,この『散歩』が,実は貴重な理科や歴史や,生物の勉強になっているのだ,ということを,子供たちは気がついてはいなかった。
『窓ぎわのトットちゃん』 黒柳徹子
楽しくないことでも「自分にとって必要だから」と念じながらやることも必要だとは思う。やりたいことだけやって大人にはなれないから。
ただ,すべてのことが新鮮で刺激的な子どもから見た世界は,学びに満ち溢れた世界だ。たとえば初めて見る花,どんな目でみるだろう。「なんだこりゃ!」って思いながらじっくり観察する。色,におい,手触り,生え方,大きさ,形状,時間が経つ変化する様など…。
見慣れたものをなかなかじっくり見ようとしない。子どものうちになるべく多くのものに触れさせて,そこから何かを得ようとする態度を養うためには,学校の中だけではだめだ。教科書だけではだめだ。実感が伴う学びでなければだめだ。文字や文章,人からの伝聞から得たものを経験や体験が裏付けることで実感の伴う学びになるのだ。
偉大な大人,校長先生
子どもを1人の人として
『校長先生が,自分のしたことを怒らないで,自分のことを信頼してくれて,ちゃんとした人格をもった人間としてあつかってくれた』ということがあったんだけど,そんな難しいことは,トットちゃんにはまだわからなかった。
『窓ぎわのトットちゃん』 黒柳徹子
全編を通して際立つのが,校長先生がいかに偉大な人間であったかということだろう。偉大という言葉さえふさわしくないと感じさせる人間としての素晴らしさ。それは,よく言われるが実際に行動に移すことが難しい❝子どもを1人の人間として尊重する❞ということだ。
トットちゃんは,いわゆる❝普通の❞学校に通っていたが,1年生にして大人の手に負えないということで退学させられてしまう。新しい❝電車の学校❞トモエ学園に入学して大きく人生が変わった。その校長先生なのだ。
この学校にはいろいろな事情を抱えた子どもが通っている。その中で,すべての子どもを口先だけでなくたいせつに尊重して関わる校長先生の姿。
すべての親や教育者に見習ってほしいと思った。
子どもの良さを生かすのか潰すのか大人次第
とにかく,校長先生は,子供たちの生まれつき持っている素質を,どう周りの大人達が損なわないで,大きくしてやれるか,ということをいつも考えていた。
『窓ぎわのトットちゃん』 黒柳徹子
トットちゃんが生まれ持った素質を,前の学校では迷惑としていた。トモエ学園の校長先生はどうしたらその良さを生かして伸ばしてやれるかと考えていたわけだ。
関わる大人次第で,子どもの将来がどう変わっていくか,ぼくたちも心に留めて子どもと関わらなければならない。
どんな子も,基本的にはあるがまま。それが子どもというもの。良いとか悪いとか,子ども自身には分からないのだ。そのあるがままに表現する子どもに対して,迷惑だから,自分にとって都合が悪いからという理由で注意したり指導したりして,大人の都合の良いように変えようとする。
そうではなくて,見方を変えたら,やり方を変えたら,関わり方を変えたら,長所になるという視点をもって関わらなければならない。
それが,大人の子どもに対してしてやれることではないだろうか。
上司としての校長先生
校長先生が,他の先生のいる職員室じゃなく,台所で,受け持ちの先生に怒っていた事を,トットちゃんは忘れなかった。
(そこに小林先生(校長先生)の本当の教育者としての姿があったから…)
『窓ぎわのトットちゃん』 黒柳徹子
トットちゃんのクラスの先生が,授業中に男の子に対して何気なく言った言葉(もちろん悪気はない)を校長先生がたまたま見ていた。そのことを放課後,その先生に指導するという場面をたまたま見てしまったトットちゃん。
よく会社の上司でも,部下が何かミスをしてしまったり,間違ってしまったら,他の社員がいる前で見せしめのように怒鳴りつける人がいる。
自分の立場と肩書を利用して,指導しているというよりもストレス発散しているのではないかと思えるようなことをする上司を思い浮かべた。もちろんミスをしたのは悪いけれど,本当にそのミスについて,なぜミスをしたのか,どうしたらよかったのか,今後ミスしないために…と言ったことを反省させたいのなら,そのことに集中できる環境で指導しなければだめだ。
みんなの前で怒られたら,ミスに対する反省よりも「みんなの前で怒られるのは嫌だな」「早く話が終わらないかな」という思いのほうが大きくなってしまう。
聞いている側もいい気にはならない。組織としての意欲や一体感というものを下げる行為でしかない。
そのことを校長先生は分かっているのだろう。
本当に考えているからこその悩み
どの教育者もそうであるように,特に本当に子供のことを考えている教育者にとっては,毎日が悩みの連続に違いなかった。
まして,このトモエ学園のように、なにからなにまで,かわっている学校が,異なる教育方針をもっている人達から非難をうけないはずはなかった。
『窓ぎわのトットちゃん』 黒柳徹子
【どんな物事に対してでも,出来事に対しても,本気だからこそ,真剣だからこそ悩む】ということを忘れてはならないなと思った。
仕事も年数を重ね,それなりの経験や地位となり,仕事への向き合い方も変わってくるが,悩まないとおかしいなと思った。悩まないということは,惰性でやっているということだ。
人から非難されても,目の前の子どもを大事にしながら,自らのたいせつにしたいこと,教育方針を貫く姿に,大人が目指すべき姿が現れていると思った。
育児も悩みの連続。子どもってどうしてこうなんだろうと思うこともある。自分もそうだったくせに。
子どものときの自分がどうしてもらったことがうれしかったか。どうしてもらったことから成長できたか,自分の子ども時代をよく振り返ってみるのもいいかもしれない。
すべての大人が校長先生のようにとは言わないが,本当に素晴らしい教育者のもとで,トットちゃんはのびのびと育ったのだと感心した。
トットちゃんのお母さん
そして,この人もまた忘れてはならない。トットちゃんをトモエ学園へ連れていったおかあさん。お母さんもまた校長先生のように,トットちゃんを【悪い子】【言うことを聞かない子】と決めつけることなく,そのあるがままの姿を認め大事に育てた。
トモエ学園の教育方針に理解をしめし,ことあるごとに疑問をもつこともありながら,校長先生を信頼し,トットちゃんを信じた。
子どもは先生や親だけのもとで育つわけではない。さまざまな教育的環境のもと影響をうけたり,うけなかったりして成長していくのだ。
❝どんな子も心の底から成長したい❞と願っている。そのやり方や道しるべを少し大人が手助けすればいいのだ。無理やり【こう育ててやろう】なんて考えずに。
トットちゃんという子がどんな子だったか,本書で改めて読んでほしい。そしてそんな子の身の回りにいた大人から自らの大人としての在り方,親としての接し方,教育者としての関わり方を振り返り,内省してみるといい。いや,そうすべきだ。
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