『星の王子さま』に学ぶ大人の在り方,子どもへの向き合い方【子育て中だからこそ読みたい本】

育休中に読んだ本
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いちばんたいせつなことは,目に見えない。

引用元:『星の王子さま』 サン=テグジュベリ 著

『星の王子さま』で語られる一貫したテーマである。この作品に関して,この言葉だけ知っているという人も多いのではないだろうか。基本的に,『星の王子さま』ってどんな話?って聞かれると,【たいせつなものは目に見えないってことだよ】とか言ってれば,なんか読んだことある風になる。

というのも,でかでかと本の紹介文や帯に書かれているから。だいたい,そういうテーマねって完結させてしまう人が多いのではなかろうか。

ただ,読むタイミングによって捉え方が変わるし,子どものときに読んで通り過ぎていった言葉も,今読むと心にズシンと残るものもある。今,育休中のぼくにとっては,本当に忘れてはいけないなと思える言葉に溢れている


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聞いたことはあるけれど,読んではいない『星の王子さま』

ある程度,年齢を重ねていると,いわゆる常識として「1度は聞いたことがあるよね」と全世代の共通認識のものがある。

たとえば,『となりのトトロ』というアニメ作品は,一度は何かの機会に観たことがあると思う。全部見てないにしてもワンシーンだけ見たというのをカウントしてもいいのなら,20代から40代の大人は80%以上は見たことがあるのではないだろうか。

アンパンマンやドラえもんなどもその一つかな。誰しもが通る道と言えるかもしれない。作品は見たことがなくても,ミッキーマウスも知らない人はほとんどいないはずである。

今回は,たぶん知っている人がたくさんいるけれど,作品はあまり見ていない,見たことあるけど思い出せない作品とでもいうべきか。聞いたことはあるということであれば,ほぼ全員なのではないか。そんなある意味では,なじみのある作品『星の王子さま』を子育て中のパパが見て何を思ったかを書いていきたい。

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『星の王子さま』の概要

『星の王子さま』 ‎ 

新潮社; 第28版 (2006/3/28)

サン=テグジュペリ
1900‐1944。名門貴族の子弟としてフランス・リヨンに生れる。海軍兵学校の受験に失敗後、兵役で航空隊に入る。除隊後、航空会社の路線パイロットとなり、多くの冒険を経験。その後様々な形で飛びながら、1929年に処女作『南方郵便機』、以後『夜間飛行』(フェミナ賞)、『人間の土地』(アカデミー・フランセーズ賞)、『星の王子さま』等を発表、行動主義文学の作家として活躍した。第2次大戦時、偵察機の搭乗員として困難な出撃を重ね、’44年コルシカ島の基地を発進したまま帰還せず。著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

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宮崎駿 絶賛の『星の王子さま』

あのアニメ界の巨匠 宮崎駿もおすすめしている。宮崎駿は,自身著作の『本へのとびらー岩波文庫を語る』で『星の王子さま』を以下のように紹介している。

最初に読み終えた時の気持ちが忘れられません。言葉にすると何か大切なものがぬけ出てしまうような気がして,だまりこくってシーンとしていました。一度は読まなければなりません。

大人になったら,同じ作者の『人間の土地』も読んでください。

引用元:『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』 宮崎駿 著

あの宮崎駿がここまで絶賛しているとは,読まないわけにはいかない。人生のどこかのタイミングで,ほとんどの人は,この作品に触れていると思うが,自身が大人になり,家庭をもち,子をもち人の親になったタイミングで,またぜひ読んでほしい。

ぼく自身は,ある夜,子どもを寝かしつけたあと,ふと本棚にあったこの作品を手にとってパラパラと開いてみると,ページをめくる手がとまらなくなった。それほど,圧倒的に世界に引き込む力がある。特に,現在進行形で子育てをしていて,子どもとの向き合い方に悩んでいるのなら,余計に没入することができると思う。

そして,その時,大人としての自分の在り方,親としての子への向き合い方を見直そうと思えてくるのだ。かつては,子どもであったはずの,たいせつなことを見ようとしていた自分を思い出すのだ。

いつからか,無意識なのか,見て見ぬふりなのか,変わってしまった自分への罪悪感,嫌悪感,【自分はこんな大人になんてなりたくない】そう思っていた姿の大人になってしまっている自分に気づけるのだ。

宮崎駿のいう❝読み終わったときの気持ち❞は,言葉にできない気持ち。言葉にしてしまうと失われていく何か。この言葉の意味がほんの少しは分かるかもしれない。大人になった今だからこそ。親になった今だからこそ。

というところで,以下,ぼく自身が『星の王子さま』を読んで,思ったこと,心に残ったことなどを本書の言葉を引用しながら,感想などを書いていく。

このブログは,あくまでも読書感想で,誤った解釈をしている可能性があります。本を読んで今の自分が感じたこと,考えたことを書くに過ぎないので,本書の解説文でもなければ,要約でもありませんのご注意を。

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子どもの話を…ひたすら,きく

おとなというものは,自分たちだけではけっしてなにもわからないから,子どもはいつもいつも説明しなくてはならず,まったくいやになる…。

引用元:『星の王子さま』 サン=テグジュベリ 著

この言葉を読んだときに想起されたことがある。上の子のお迎えに行ったとき,いつも子どもが何らかの話をしてくれるのだが,少し話を聞いた段階で,ぼくは,「それってこういうこと?」「もしかしたら,こうやったんじゃないの?」などと,自分の経験やおそらく幼稚園ではこんなことをするだろうと予想できることを踏まえて,決めつけて話をさえぎってしまうことがあった。

そうなると,子どもは話す気が失せるのか,機嫌が悪くなる。完全に親であるぼくが悪い。でも,大人ってそういう時がある。子どもに対する場合には特に。子どもが言いたいことをなんとか言葉にしようと頑張って考えているのに,待ちきれず「こういうことかな?」などと助け船を出したつもりで話してしまう。

子どもが,がんばってその日の出来事を自分なりに,知っている言葉で,どう言えば伝わるか考えながら話そうとしてる貴重な機会,学びの機会をぼくは奪っていた。

大きな反省である。

「分かった気になる」というのは,理解から最も遠いところにあるのだなと,自らの経験で実感した。

子どものことも,わが子だから,親である自分が一番わかっていると思わずに,子ども自身から話される言葉に耳をかたむけていきたい。

余計なことを言わず,ひたすら待つ。助けを求めてきてくれたら,「こういうことかな?」と寄り添えばいい。我慢!

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子どもが聴いてもらいたいと思っていること

おとなは,いちばんたいせつなことはなにも聞かない。

引用元:『星の王子さま』 サン=テグジュベリ 著

『星の王子さま』の中では,「おとな」は新しい友達に関して,何歳?体重は何キロ?お父さんの収入は?などといった数字のことしか聞かず,どんな声をしている?とかどんな遊びが好き?といったたいせつなことは聞かない。という文脈で上記の引用文の言葉が登場する。

では,子育てをしている自分の目線から考えると,

子どもにとってたいせつなことはなんだろう。

子どもはどんなことを話したいのだろう。

子どもはどんなことを聞いてもらいたいのだろう。

ぼくはよく,子どもをお迎えに行くと,「今日はどうだった?」とか「楽しかった?」という「別に」とか「うん」とかしか答えようのないつまらない質問をしてしまっていることに気づいた。

ぼくの大雑把な質問は,幅広く問うもので,子どもはしっかりとその日によって,おそらく子どもの中で一番印象に残ったことを話してくれているような気がする。

「今日どうだった?」に対しては,ある日は,運動会練習の話,またある日は,給食の話,泣いてしまった話。本当にありがたいことだ。

今はまだ,しっかりと答えてくれてはいるが,今後どうだろう。年齢があがると,「別に」とか「普通」とかそんな答えしか返ってこなくなるのではないかと思った。

実感として,子どもがうれしそうに話してくれるのは,園で初めてやったことだったり,本人ができるようになったことである。新しくできるようになるというのは,大人もそうだが,子どもにとっては最も嬉しいことなのかもしれない。

それを引き出すような会話ができればと思う。そして,はじめてできるようになったことがあるのなら,その日のうちに,見せてもらうことが何よりも重要だと思う。

よくうちの子は,見て!見て!!!と言って技を披露してくれる。たとえば,でんぐり返りとか,鉄棒の技とか。

「今日,はじめてできるようになったことは何?」とか「○○くんの好きなものは何?」と聞いてみるのは,安易すぎるのだろうか。

「今日どうだった?」の質問に反応が悪くなったとき,いろいろと子どもが話したくなりそうなことを話したり,自らができるようになったことでも話してあげるのもありかもしれない。

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「おとな」が失ったもの

(略)「大事なことで忙しい!私は有能な人間だから!」そうしてふんぞり返ってた。でもそんなのは人間じゃない。キノコだ!

引用元:『星の王子さま』 サン=テグジュベリ 著

この『星の王子さま』では,いわゆる「おとな」は,人間じゃないと一貫して描かれている。「大人」と表記されていないところがポイントであるが,この作品における「おとな」とは何か,を考えてみることは,非常に価値があることだと思う。

飛行機の修理に夢中になっている時,王子さまから「花のトゲは,なぜあるのか」と問われ,少しやりとりがあったのち,飛行機の修理に集中したい僕は,「大事なことで忙しいんだ!」と王子さまを遠ざけようとする。

それに対して,「おとなみたいな言い方だ!」と憤慨する。「きみはごちゃまぜにしている…大事なこともそうでないことも!」と続き,上記の引用した言葉を言う。

この場面は特に自分自身で読んでいただきたいのだが,『星の王子さま』における「おとな」は「人間じゃない」わけで,たとえば,

  • ヒツジが食べるものについて疑問をもたない人
  • 花のトゲがなんのためにあるのか考えようとしない人
  • 花の香りをかごうとしない人
  • 星を見ない人
  • 人を愛さない人

疑問をもたない,考えない,本質を見ようとしない,数字ばかり気にする,一輪の花が失われたらすべてを失うことが分からない人。それが人間じゃないということ。「おとな」だということ。

さて,自分はどうだろう。社会生活を送る上で必要だとは言え,常に数字を意識してしまっている。特に,お金と時間。よくよく考えてみれば,子どもって,お金も時間も気にしない。きっとそれよりも,たいせつなことが何か分かっているのだろう。

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言葉よりも行動,やったことがほんとうのこと

ぼくはあのころ,何にもわかっていなかった!ことばじゃなくて,してくれたことで,あの花を見るべきだった。あの花はぼくをいい香りでつつんでくれたし,ぼくの星を明るくしてくれたんだ。ぼくは逃げ出したりしちゃいけなかった!あれこれ言うかげには,愛情があったことを見抜くべきだった。

引用元:『星の王子さま』 サン=テグジュベリ 著

この花というのは,気まぐれで王子さまを困らせることばかり言う花のこと。王子さまを混乱させるようなことばかり言っていたが,王子さまは気づく。花の言うことは決して聞いてはいけない。見つめたり,香りをかいだりして楽しむものだと。

子育てにつながるかは分からないが,もしかしたら,子どもも大人に対して似たところがあるのかもしれない。大人の言っていることじゃなくて,行動こそが信じるに値すると。

言ったことじゃなく,してくれたこと。

自分自身も,上司や先輩と関わるとき,感じたことがある。言葉の上ではそれなりのことを言ってはいるが,行動が伴っていないために,どうも信用できない。

自分自身も,そういった面があるのかもしれない。子どもに対して,口ばっかりだと思われているかもしれない。そうならないように気を付けよう。

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道の先には人がいる

道というものは,すべて人間たちのところへつながっている。

引用元:『星の王子さま』 サン=テグジュベリ 著

これも子育てとつながらないかもしれないが,言葉選びというか,語感がとてもよくて,心に残った。【道というものは,すべて人間たちのところへつながっている。】

作中の意図とは外れた解釈かもしれないが,ものすごく納得する言葉である。どんな道にもその先に必ず人が関わっている。輝かしい道も困難な道もその先には必ず人がいる。喜びや悲しみといった感情の根源か,もしくはその果てには必ず人間が関わっているような気がする。

道があるということは,誰かが切り開いたということ。

誰も通ったことのない道はない。それは言い過ぎかもしれないが。

自分が通った道も辿った道も,いつか誰かがやってくるのだろう。

ぼくがしている子育ても,時代を経て,きっと子どもに伝わっていくのだろう。

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「今」をどう捉えるか

「みんな,自分のいたところに満足できなかったの?」

人は,自分のいるところに決して満足できない

引用元:『星の王子さま』 サン=テグジュベリ 著

今の自分に満足していますか?と問われて,一体何人の人が,満足していると答えるだろうか。

今の自分とはいっても,家庭での自分,仕事での自分,個人としての自分,昔と比較した自分,すべてをひっくるめた今の自分,これもどういう視点で考えるかで,満足しているのか,やや満足しているのか,満足していないのかが変わってくる問題ではある。

しかも,「今の自分に満足している」のは,置かれた環境下において,喜びや幸せを見出し,感謝することができているともいえるし,今の自分よりさらに良くなる気持ちがないのか!向上心がない!ともいえる。

そういう意味では,「現状に満足しない」というのは,ある意味,成長を望む点では素晴らしいともいえる。

おそらく,ここでは,そういう意味ではなく,人間は欲深く,たいせつなことが見えていないということでもあるのだろう

「今ここにない何か」を追い求めることも大事。窓ガラスに顔を押し付けて,流れゆく風景を,とまることのない成長を楽しんでいきたい。

子どもたちだけが分かっていること。ぼくもわかりたいと思った。

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「忘れない」のではなく,「消えない」

今では少し,悲しみはやわらいだ。つまり…消えたわけではないということだ。

引用元:『星の王子さま』 サン=テグジュベリ 著

いつからか,悲しみに鈍感になった。ありがたいことでもあり,残念なことでもある。

はじめて経験する悲しみは,それはもう耐えがたくつらいものがある。友達とのけんかや恋人との別れのレベルから,たいせつな人を失うことまで,あらゆる悲しみは,その瞬間の自分にとって,何よりもつらい。

しかし,「時間」というのは最強で,あらゆる悲しみをやわらげてくれる。ここで引用した言葉のたいせつなことが分かってくるが,消えないんだ。いくら薄れることがあっても,悲しみは消えない。というか,消してはならない。消えてほしいと願うこともあるけれど。

「忘れない」というのは,出来事として記憶しておくようなイメージがあるが,「消えない」というのは,心に残るということ。心がある人間であるならば,きっと消えない。

その消えないことで,ぼくたちは成長していけるのでないだろうか。

関係ないけど,「成長」って言葉は便利涙を流さなくなることも「成長」悲しみに慣れることも「成長」心が鈍化していくことも「成長」 そう言えてしまうこと自体,「おとな」になってしまったということなのか。

というわけで,書いているうちに「おとな」とは。「人間じゃない」とは。ということが見えてきた。

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でも目では見えないんだ。心で探さなくちゃ

引用元:『星の王子さま』 サン=テグジュベリ 著

心を育てる,心を耕す,心を鍛える,表現はなんでもいいが,そもそも大人になってしまったぼくには心があるのだろうか。

子どものときに持っていたものは,まだ自分の中にあるのか。

子どもの心を育てたい」というのなら,自分にも育った心はあるというのか!

それは分からないが,この『星の王子さま』を読むたびに,自分の中に心とやらが,ぼんやりと出てくるような気がする。小さな王子さまに触れるたび,自分にも心があると信じることができる。

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