絶対に読みたい一冊『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』宮崎駿【子育てパパ必読書】

育休中に読んだ本
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本を読むから考えが深くなる,なんていうことはあまり考えなくてもいいんじゃないでしょうか。本を読むと立派になるかというとそんなことはないですからね。読書というのは,どういう効果があるかということではないですから。それよりも,子どものときに,自分にとってやっぱりこれだという,とても大事な一冊にめぐり逢うことのほうが大切だと思いますね。

『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』宮崎駿 著 1 自分の一冊にめぐり逢う

子どものときに,どれくらい自分にとって大事な本に出逢っただろう。大事なマンガやアニメには出逢えた気はするが,【大事な本】に出逢わずして大人になってしまった。

ただ,これも本意ではないのかもしれないが,ぼくにとって,この『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』こそが,大事な本となった。

現在,1年間という長期間の育休を取得している30代の男だが,育休を取得したからといって,育児や子育てについての本を読んだり,セミナーに参加したりして,勉強しよう!なんてことは全く思ってもいなかった。

毎日,家事や育児を中心に,たくさん子どもと関わったり,家族のためにできることをしたりすることで精いっぱいかなとも思っていた。

しかし,子育て中の方にこそ,この本を読んでほしい。そんな思いで,印象に残った「言葉(文章)」を引用しながら,それについて考えたこと,感じたこと,今の自分に当てはまることなどを書いていく。


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『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』の概要

『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』

‎ 岩波書店 (2011/10/21)

著者:宮崎 駿


1941年東京生まれ。アニメーション映画監督。学習院大学卒業後、1963年東映動画(現・東映アニメーション)入社。その後いくつかの制作会社を経て、1985年スタジオジブリ設立に参加。現在スタジオジブリ所長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

著者は,言わずと知れたアニメ界の大巨匠,宮崎駿。

本書の構成は,第1部として,スタジオジブリが非売品として作成した小冊子「岩波少年文庫の50冊」(選・宮崎駿)をもとに、50冊が宮崎駿監督の紹介書目つきで紹介されている。これを読むだけで,全部読みたくなってしまう不思議。どこかの誰かが紹介しているものであれば,そこまで関心を持てないような気もする。「あの宮崎監督が紹介しているのであれば…」という思いになる。しかも,紹介の言葉も秀逸で,アニメーション監督,アニメーターらしく,挿絵についての記述も多い。絵を描くのが好きなお子さんをお持ちの親御さんはぜひ手に取ってほしい。

第2部はインタビューと対談をもとに構成した宮崎さんの読書体験などがまとめられている。そのインタビューの中に登場する宮崎監督が尊敬する人物の話や作品の話もまたおもしろく,それもこれも全部読んでみたくなる。特に,育児をしているぼくからすると,この児童文学を子どものために買ってあげたい!などと安易に考えてしまうのだ。

「生まれてきてよかったんだ、と子どもにエールを送るのが児童文学」。アニメーション界のトップランナーとして世界的に注目される著者が、長年親しんできた岩波少年文庫の中からお薦めの五〇冊を紹介。あわせて、自らの読書体験、児童文学の挿絵の魅力、そして震災後の世界についてなど、本への、子どもへの熱い思いを語る。

内容(「BOOK」データベースより)

さらに,この内容紹介文を読んだら,もう手に取るしかない!

育休ぼく
育休ぼく

読むしかない!!

このブログは,あくまでも読書感想で,誤った解釈をしている可能性があります。本を読んで今の自分が感じたこと,考えたことを書くに過ぎないので,本書の解説文でもなければ,要約でもありませんのご注意を

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【この世は生きるに値する】

記者
記者

すべての作品を通して伝えようと意識してきたメッセージは?

僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入ったので、基本的に子供たちに「この世は生きるに値するんだ」ということを伝えるのが自分たちの仕事の根幹になければいけないと思ってきた。それはいまも変わらない。

宮崎駿監督「この世は生きるに値する」 引退会見の全文

宮崎駿監督が,2013年に公開された映画『風立ちぬ』の後,引退宣言をした際の会見での言葉である。

ジブリ作品の,とりわけ宮崎駿監督作品の根幹には,いつも【この世は生きるに値するんだ】というメッセージが込められている。

そういえば,宮崎駿監督の作品のキャッチコピーにもそのメッセージを垣間見ることができる(公式のコピーでないものも含む)。

  • 『もののけ姫』…【生きろ。】
  • 『ハウルの動く城』…【生きる楽しさ 愛する歓び】(抜粋)
  • 『崖の上のポニョ』…【生まれてきてよかった。】
  • 『風立ちぬ』…【生きねば。】

語るまでもない大名作の根幹にある【この世は生きるに値する】というメッセージ。それを宮崎監督自身が培ったものが児童文学ということになる。

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宮崎駿監督が選ぶ50冊

子育てをしている今の自分が宮崎監督の紹介文を読んで,実際に読んだものや読んでみたいと思ったいくつかの作品を紹介したいと思う。

『イワンのばか』 (1886年)

レフ・トルストイ作 スズキコージ絵 金子幸彦訳 


人はどのように生きるべきなのでしょう。子供のころ、この本を読んでぼくはとても心をうたれました。ばかのイワンのように生きられたらどんなにいいか。でも,それはとてもむずかしい。自分にはできそうにありません。そう思うのに,ぼくは今でもばかのイワンのように生きられたらと,時々思います。

『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』 イワンのばか

こんな紹介文を読んだら,読みたくなる。こういった紹介文を読んで,どんなお話なのか想像してみる。きっと想像どおりではないのだろうけど。少なくとも,このお話のばかというのは,なんだろう?そして,ばかのように生きるのは,むずかしいと宮崎監督自身が思っているのだなあと。生きるべき姿ってなんだろう?と。刊行されたのが1885年であることもまた興味深い。今の時代にも当てはまる部分があるのだろうか。

というわけで,ぼくはまだこの本を読んでいないので,必ず近いうちに読まねば。

『飛ぶ教室』(1933年)

エーリヒ・ケストナー 作 ヴァルター・トリアー 絵 池田香代子 訳


子供の時,ぼくはこの本にとても感動しました。キラキラした夢のような世界でした。この本の少年達や大人達のように,勇気や誇りや公正さを持てたら,どんなに素晴らしいかと。

残念ながら,ぼくは勇気を発揮するチャンスを何度も逃し,傷つきやすく臆病な少年時代を過ごしていました。

読みなおして,勇気や誇りを持つことに,自分がどれだけあこがれていたのかを思い出します。ぼくには少年時代も大人の時代もやり直すことはできません。でも…と思います。ちゃんとした老人になら,まだチャンスはあるかもしれないって…。

『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』 飛ぶ教室

この紹介文を読むと,子どものときに読みたかったなと思わずにはいられない。もうやり直すことはできないけれど。大人になった今,読んだらどんな感想をもつのか,読んでいる最中に,夢のようだと感じる心が自分にはあるのか,不安と楽しみでいっぱいになる。

ここに書かれている勇気を発揮するチャンスはぼくにもあったのだろうか。あってものにしたのだろうか。逃したのだろうか。

勇気と誇りを持つことにあこがれているのは,今の自分にもいえること。男である以上,心のどこかでかっこいいってなんだろう(紅の豚みたい)って一度は考えたことがあると思う。きっとものすごく抽象的だけれど,「勇気と誇りをもっている」ということなのではないだろうか。

「ちゃんとした人間」っていう言葉の定義は分からないけれど,自分は「ちゃんとした子ども」ではなかった。ちゃんとした大人でもないし,ちゃんとした親にはなりたい。

『やかまし村の子どもたち』(1947年)

アストリッド・リンドグレーン 作 大塚勇三 訳


この世界に楽園があるとするならば,やかまし村がそれです。読んだ子供達は,みんなこの本が好きになり,自分たちもやかまし村に生まれたら良かったのにと思います。

こんな風な楽しさは子供の時にしかありません。

それなのに,このような村でくらすチャンスはめったにないのです。それで,「ああーおもしろかった」と読みおえてから,ちょっぴり残念な気持ちがするのです。

『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』 宮崎駿 著 飛ぶ教室

この本は読んだ。紹介文に書かれている意味がよく分かった。なんというか,今の世界ではもう存在しない楽園なんだろうな。子どもが子ども時代に子どもらしく生きる。子どもにしか生きられない世界がある。

子どものときにしかない楽しさ。つまり,大人になると,楽しく感じなくなるという意味にも受け取れる。

子どもにとっての学校,子どもにとっての誕生日,子どもにとっての犬や動物,子どもにとっての近所のおじいさん,子どもにとっての夏休み,子どもにとってのクリスマス…どんなにわくわくしたことか。どんなにきらきらしたものか。かつて自分には,そう見えていたものが,いつからかただの繰り返される日常になってしまった。

そういうものを思い出させてくれる。子どもの純粋さ,子どもの何が何でも楽しむんだという生き方。これぞまさに,生きることっていいなと思わせてくれる。

毎日って楽しいんだと。

以上3冊取り上げてみた。紹介文を読むだけで,他の47冊も本当に読みたい!と思わせてくれる宮崎駿監督の言葉,言い回しの力はすさまじいものがある。

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人生はやり直せる!

児童文学は「やり直しがきく話」なんです。

『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』 宮崎駿 著 自分の一冊にめぐり合う

誰でも生きていて,「やってしまった経験」があると思う。「取り返しのつかないことをやってしまった」とか。そうでなくても,「あの人にあんなこと言わなければよかった」とか,「余計なもの買ってしまったな」とか。ゲームみたいにセーブして,リセットボタンを押してセーブポイントに戻って,やり直したい!って思うことは誰にでもある。

そういうものではないけれど,ありがたいことに子どものうちは,失敗してもやり直しがきくようにできている。学校,親,小さな世界でしかいられない窮屈さと引き換えに,責任を譲渡して社会から守られている。何かあっても,社会的な責任は親がとってくれる。

だからこそ,まだまだ生きていける。これからも生きていける。いろいろあるけど,やり直そうと思ったら,やり直せる。いやなこともあるし,思い通りにいかないこともあるけれど,がんばろう!とかやってみよう!とか。

宮崎駿監督曰く,昔の児童文学とは,そういう「やり直しがきく話」らしい。大人になった今だからこそ,子どもをもつ父親だからこそ,これまで全く読んでこなかった児童文学を読んでいきたい。

子どもには,少なくとも小学生のうちは,「がんばったら何でもできる!」「生きていくことは素晴らしい!」ということを伝えられる自分でいたい。

中学生くらいになったら,「がんばってもできないこともある」ということや「生きていくことは良いことばかりじゃない」ということを自ら経験して学んでほしい。

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大人立ち入り禁止!子どもの世界

子どもたちにとっての遊びの世界って,現実と空想の境目がないんですよ。空間にも時間にも束縛されていません。

『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』 宮崎駿 著 自分の一冊にめぐり合う

親になって,よく思う。はじめは,「なんで,時間が守れないんだ」とか,「なんで,いうことを聞けないんだ」とか,「静かにすべき場所なのにうるさいんだ」とか,否定的な目線で子どもを見ていたこともあった。やけに静かだなと思ったら,一人遊びをしていて「あっちの世界」に旅立っていることもある。

よくよく考えてみると,現実と空想なんてものも大人が勝手にその境界を作ったものだし,どこで何をしようと,自由であるはずだ。社会という枠組みの中で生きている我々は,図書館では静かにするといったいわゆる常識というルールに則って生きなければならない。

時間だって,勝手に大人とか社会とかが決めたもの。本来,遊びたいだけ遊び,やりたいことを飽きるまで,納得のいくまで遊んでいいはずだ。

語弊があるかもしれないが,「何をしてもいい」はず。だからこそ,人を笑顔にすることもあれば,傷つけることもある。人と関われば関わるほど,社会性を身につけてしまい,現実を知り,空想を忘れ,時間や空間の制限を自らもつくってしまうようになる。

だったら,せめて,子どもであるうちの子どもの世界はなるべく邪魔しないであげたい。

とは言いながらも,どうしても,口を出してしまうのが親であり,大人であり,社会というものなのか。

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子どもの成長~不信と依存

時が来るまでは,子どもはちゃんと親の庇護のなかにいなきゃいけないあわてて成長する必要はないんですよ。それはただの親への不信に過ぎない。それよりは依存しているほうがいい。

不信と依存は同時にあるものですけれど,依存を認めなければ,子どもの世界を理解したことにはならないんです。子どもが成長して自立していくのがいちばん尊い,なんていうのは,それは違う。

『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』 宮崎駿 著 自分の一冊にめぐり合う

親は,子どもに成長してほしいと願う。ありとあらゆる,言葉や振る舞いを用いて成長するように促す。促すくらいならまだしも,半ば強制的に成長させようとする。

人を成長させようとする時ってだいたい自分に甘くなる。というか,その人のためを本当に想っているのか,もちろん想っている場合もあるが。だいたい自分本位になるというか,ありがた迷惑というか。

わりと人って,勝手に成長するものだなぁと感じることが増えてきた。

子どもって成長したいと願っている。親に言われなくても,「できるようになりたい」とか「知りたい」とか,特に自分が興味あることには,夢中になる。文字通り,夢の中にいるようにその世界に浸って出てこない。

引用の中でも「あわてて成長する必要はない」という言葉は覚えておきたい。親である自分にとっては,「あわてて成長させようとする必要はない,それは子どもを信じていない」という解釈として心に留めておきたい。

「依存」というと良い言葉に聞こえないけれど,「依存」という言葉を調べてみると,なるほどと感心した。

依存

他のものによりかかり、それによって成り立つこと。

Oxford Languagesの定義

これも,この言葉をどう受け取って解釈するかということになるが,

親によりかかる,親によりかかることで,自分が成り立つ。自分を表現できる。自分らしく在ることができる。

こう考えると,親の影響は大きい。でも,安心できる親あってこその子どもだと思えたら,親である自分も強くないといけないなと感じると共に,無理やり成長させようと四苦八苦するよりも,寄り添いながら伸びていく子どもと自然に関わっていけばいいのではないかと感じたのだ。

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自分の一冊と出逢うために

本には効き目なんかないです。振り返ってみたら効き目があったということにすぎない。あのときのあの本が,自分にとってはああいう意味があったとか,こういう意味があったとか,何十年も経ってから気づくんですよ。

だから効き目があるから渡す,という発想はやめたほうがいいと思っています。読ませようと思っても,子どもは読みません。

『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』 宮崎駿 著 自分の一冊にめぐり合う

本と関わるときって,本当に能動的でないといけない。テレビ番組のように,勝手に放送してくれるわけではないし,映像で流れてくるわけでもない。本が自分から勝手に開いて目の前に現れるなんてこともない。

「本を読む」ということは,自分から本を手に取り,自分から本を開き,自分から文字を読まなければならない。人に与えられるものであってはいけない。きっかけのひとつとして,贈り物にするのはもちろん否定はしない。

ましてや,この本を読んだら,スーパーマンになれるわけでもないし,学者になれるわけでもない。自分は,小学生の頃はおろか,中学生になっても,高校生の時もまともに本を読んだことはなかった。おそらく一冊読み切ったのは,大学生になってからだと思う。

ただ,大人達は本をプレゼントしてくれる。絵本や漫画なら読むが,本は読まなかった。本を読ませたいと思っても,子どもは読まない。自分が読まないくせに,読まそうとする大人もいっぱいいる。

さて,どうしたものか。

育休ぼく
育休ぼく

自分の子どもに「自分の一冊」を出逢わせたい!!

なんて思っている時点で,だめなんだろうな。

自分の一冊なんてないし。大人になってからだと何冊かあるけれど。

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ぼくの一冊(絵本)

ただ,自分に子どもができて,それまで興味がなかった絵本を手に取るようになった。子どもと一緒に絵本を読む中で,たくさんの記憶が思い出された。

子どもの時に大好きだった絵本。この絵本から何を得たか,何を学んだか,なぜ毎日読んでいた日から20年以上も経っているのに,内容もはっきり覚えていて,未だに魅力的な絵本なのか,当然,当時の自分は分からない。

今となっては,分かりようもない。だから分析してみようとするのも野暮なこと。

『そらいろのたね』


『ぐりとぐらのかいすいよく』


『三びきのやぎのがらがらどん』


『ふとんやまトンネル』


『じごくのそうべえ』


ぼくにとっての「自分の一冊」(5冊あるけど)

みなさんの昔大好きだった絵本はなんですか。

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