なぜぼくは育休を取ったのか。

育休観
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1.きっかけ~身近な存在

 育休をとって5ヶ月超。1年前には到底自分が育休を取ろうなどとは考えていなかった。では,なぜとったのか。思い返してみると,さまざまなことが影響しているように思う。まず,以前の職場で仲良くしてもらっていた先輩が昨年度,育休を取得したからだ。しかも1年も。これが大前提。この先輩が育休をとっていなければ,自分も取ろうなどとは思わなかった。というか,そんな選択肢は人生において思いつきもしなかっただろう。世間的に男の育休が取り沙汰されていても「男の育休と自分」が結びつくことはなかったように思う。「身近な先輩が育休を取得していた」これがぼくの育休取得の第一理由であり,スタート地点である。

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2.「仕事をしない自分」への恐怖

 しかし,身近な先輩が育休を取得したことについて,はじめにどう思ったかというと「いいな。」ではなく,「すごいな。」だった。何が「すごい」って,いろいろある。ある一定期間であったとしても継続的に「仕事をしない時期」を経験したのは,大学を卒業して3年以内(22~25歳くらい)のときに数回(最長2か月ほど)あった以来。それも文字通り厄年にふさわしい事態に見舞われた時期でよい思い出がない(経験という意味では無駄ではないが。)ころまでさかのぼることになる。当時の自分というと,言い訳なしで評するなら,「堕落しきった生活」「身も心もぼろぼろ」といったところか。とにかく,「仕事をしていない自分」というと,そのころの自分が思い起こされるわけで,今,結婚して子どもも二人目が生まれようとというときに「あの頃の働いていないときの自分」になってしまうのではないかという恐怖があった。そういった意味で,働かない自分になることは「すごい」と思ったのだ。書いていて気が付いたが,この場合の「すごい」という言葉の中には「こわい」という意味や「かっこいい」という意味が含まれている

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3.「脱-社会的な自分」=無防備な自分

 一定期間仕事をしないという意味で「すごい」。そんな自分は想像もできなかった。「自分の」,というか,「人間の」もしくは「一個人の」,もっというと「大人の」パーソナリティって,「仕事」が大部分を占めている。「仕事をしていない自分」となると,ある意味,自分の(時間を割いているという意味で)最も重要な人格をそぎ落とすことになる。言い方を変えるなら,最も分厚いアウターを脱ぎ,インナー1,2枚くらいになるイメージ。社会的な自分という皮というか殻をはがすイメージ。大人になると仕事なしでは,その人間を語ることはできないといってもいいくらい仕事は,人間の大部分を占めている。「仕事」という上着を脱いで「より本質的な自分」になるのか,はたまた新たな「育休パパ」という少し薄目の上着に着替えて,「別の現象的な自分」になるのか,どちらにせよ自意識の高い自分にとっては,「育休を取得すること」は,勇気の要る行動であるわけだ。

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4.家庭,職場,世間からの眼差し

 では,もっと具体的になぜ育休を取ることが「すごい」と思ったのかを書いていく。「すごい」と思ったことというよりも「疑問」や「懸念」といったほうがいいかもしれない。理由は後回しにして,とりあえず列挙していく。まず,一番の懸念であろう「奥さんとずっと家にいること」とか「育児なんて男にできるのか」とか「育児だけではない,家事もだよね」とか「一日中家にいて何をするの」とか「金銭的には大丈夫なのか」とか「職場の理解」ひいては「職場での立ち位置,居場所,昇進の問題」とか「いわゆる世間の目」とか,そういう「男の育休」と聞くと誰もが思いつきそうなことをすべて踏まえた上で,自分を取り巻くさまざまな人たちからの理解のもと,育休取得に至ったのだろうと容易に想像できたからだ。その先輩の決断もさることながら,周りの人たちの理解,奥さんの度量というところに何よりも「かっこいい」と感じた。

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5.「一生に一度しかない好機」

 人間不思議なもので(すべての人間に当てはまるわけではないが),あるものに対して「すごい」「こわい」「かっこいい」と思ってしまうと,憧れてしまったり,「そうなりたい」という意味で近づきたくなってしまったりする。少なくともぼくは,「育休をとってみたい」と思ってしまったのだった。自分では思いつかなかった価値観を与えてくれたり,まだあまり人がやってなかったことであったり,今が旬なことってやっぱり「いいな」と思ってしまう。「こわいもの見たさ」っていう言葉もあるし,「やったことのないこと」ってやってみたくなる。さらに人間って期間限定って言葉に弱い。三人目の子どもも欲しいけど,今回の二人目の子どもで最後かもしれない。もう一生こんな機会はないかもしれない。仮に40歳とか45歳くらいになって,「本気で子どもと向き合いたい!」と思ったとしても,その時に育休なんてとれるわけがない。「後悔したくない」「一生に一度きり」「今回限り」「千載一遇」などといった育休を取るためのパワーワードを思いつくくらい,「育休をとってみたい」という気持ちが先ほど挙げた「懸念点」を凌駕していくことになる。

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6.育休は「挑戦」という考え方

 さて,ここからは,先ほど挙げた「懸念点」を自分なりに押さえていくことで,いかにして育休を取るに至ったかを書いていこうと思う。育休を取る上で当然,自分の思いや決断は大事ではあるが,そこに至るまでに最も無視してはいけないのは,「家庭」ではないだろうか。奥さんが同意,納得,共感,支持してくれないことには「育休取得」などという選択の余地すらないと思う。ここが何よりも,最も,一番大切だと思う。育休を取る道を選んでから,何人かの友人や職場の人にその話をした際,とくに女性は「うちの旦那は家にいても何もしない」とか「働いてくれないと困る(金銭的な面もあるが物理的に)」といった声がものすごく多かった。当の男本人も「嫁とずっと家にいるのは無理」とか「仕事に出ないことが無理」などと言う人もかなり多かった。そんな中,3割くらいは「旦那さんが家にいてくれたら助かる」とか「旦那さんが育休とるの本当にいいよね」という人もいた。もちろん,男側も一定数「自分もタイミングさえ合えば取りたい」「給料なくても取りたい」という人がいた。言うまでもないが,ぼくの奥さんは,「とってほしい」と思ってくれた。というか,むしろ,実のところ,子どもが生まれて数週間後に奥さん側から「来年,育休とってよ」と言ってくれたのだった。しかも,ありがたいことに,ぼくが育休を取得すると決めてから,奥さんは知人や友人に嬉しそうに語ってくれていた。一番の懸念材料である「家庭内での同意」という部分は,奥さんが快く提案してくれたことでクリアした。

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7「育児」に関わるすべてのこと

 上記のことともつながるが,家事については,自分自身で得意不得意はあるものの,嫌いではない。基本的に洗濯関係はいつもやっているし,食器を洗ったり片づけたりすることも苦ではない。料理は苦手なのであまりしないが,たまに簡単な夕食を作ると奥さんも子どもも喜んでくれるので嫌いではない。掃除も嫌いでも苦でもないが,片付けや整理整頓は大の苦手で,奥さんが得意なので任せている。世間一般の夫や父親がどういったものかは分からないが,家事はわりとやっているほうだと思う。もちろん,奥さんと同じ育休という立場になって役割や分担は多少変わったが,自分にとっての家事は,「全くやっていないかったことに挑戦」というわけではない。

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8.逃れられない「お金」との対峙

 金銭的なことについては,正直そこまで考えていなかった。「何とかなる」と思ってしまっていた。育休を取得する上で,かなり重要な懸念材料であるにも関わらずだ。育児休業手当金なるものが夫婦ともに支給されることも知っていたし,夫婦で同時に育休に入ると,パパ側の支給期間が2か月ほど延長される仕組みも教えてもらっていたこともある。実際に育休に入り,余剰時間で家計を見直したとき,まずいことに気が付いたのは幸運だった。育休に入って最初にやったことは家計の見直しだった。ライフプランや資産形成について専門家であるFP(ファイナンシャル・プランナー)に相談に行こうかとも思ったが,自分で資格を取得したほうが早いと思い,FP3級の国家資格を取得した。子育てや育児と家計,つまり「お金」は密接に関わってくる。当たり前のことではあるが,どれだけ子どもに経験させてあげられるか,与えてあげられるか,またはあえて与えないか,という問題は,親の責任であるし,どれだけ子どもにお金を使えるかに掛かっている。もちろん,お金を使わない経験もあることは承知だが,基本的に質を求めるとお金はかかる。人間に対してこの言葉を使うのは抵抗があるが,お金にしろ時間にしろ労力にしろ,どれだけリターンを求めて「投資」できるか,ということは,やっぱりお金が不可欠であると気づいたのは,育休を取得してからのことだった。

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9.仕事を休みたいから育休を取るのではない

 はっきり言って,世間の目はどうでもいいので,考慮すべき懸念点の最後は,これまた大きな「仕事」である。聞くところによると,職種や職場によっては,「男の育休なんて言語道断」で,育休を取りたくても上司に言える空気ではないとか,言えたとしても,嫌われるとか,居場所がなくなるとか,自分がいないと仕事がまわらなくなるだとか,といった現状があるようだ。この話をする前に声を大にして書いておきたいことがある。育休を取ることが決まって何人かの友人や知人にそのことを話すと,これまた一定数こんなことを言う輩がいた。「いいな,自分も仕事休みたいな」「仕事休めるの羨ましいな」。正直,衝撃だった。そうか,「仕事を休みたいから育休」ということが結びつく思考回路の人間がいるのかと。あなたは仕事を休みたいからがんばって妊娠して合法的な休みを取るという価値観の人間ということですかと。衝撃的だったが,それだけ仕事は嫌なものだと思っている人もいるのか,無理してやりたくない仕事をしているのか,いろいろ考えたけど,職場環境に恵まれない人もいるし,そこまで深く考えずに発言する人間もいる。自分も何も考えずに思いついたことをすぐに口に出して人を傷つけてしまうこともあった。それでも,ここで言っておきたいのは,「仕事がいやだから」とか「仕事を休みたいから」育休を取るのではないということである。

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10.どうしてもやりたかった仕事を諦めてまで取得した育休

 それを踏まえて,本当に育休をとってよいのか,悩んだ。一日ごとに考えが変わるくらい悩んだ。「育休とる!」「いや,仕事したいな」といった具合に。本当に仕事をしたかった。どの職種もそういった面はあると思うが,職業柄,年度ごとに仕事のキリがよく,異動も行われる。年度が変われば,キリよく新しいメンバーで仕事をスタートできるが,自分の場合は,年度を跨いで継続することもできた。自分が望めばそういった人事になったはずだ。だから,悩んだ。さらにいうと,その年度でその年の仕事が終わるので,育休を取得するにしてもどれくらいの期間取得するかといったことも考えなくてはいけなかった。例えば年度途中で育休を数か月とか半年とか取得する方法もあるが,それだと中途半端になってしまい,自分として責任の所在が曖昧になってしまうと思った。つまり,育休を取得するかどうかに関して,自分の中の選択肢としては2択しかなくなった。「2023年度,1年間育休を取得する」か「育休を取らない」か。中途半端に2か月とか半年といった単位では取らないことに決めた。本当に仕事をしたかった。「じゃあ,しろよ」と言われそうだが,そう単純でもなくなっていた。いろいろと職場内の人事に関して,重要なポストを任される予定でもあったからだ。そんな中,職場の仲間たちに伝えるのは苦しかった。

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11.育休を取得できることは幸運なこと

 育休を取得するという最終的な決め手は,何かと言われたらよく分からない。たぶん,悩んだ時点で答えは決まっていたように思う。この悩んだ時間やら考えたり相談したりした空間そのものが今回の決断へと導いた。「育休をとった理由は?」と聞かれたら,いくらでも言葉を並べられるが,おそらくどれも本質的ではない。「男性も育児をすべきだ。育児を通して奥さんの大変さを身をもって経験したり,父親として成長したりする」といったことも言えるし,「日々の仕事の責任や義務から解放されて育児に100%専念する」といったことも言える。つまり,ここまで長々とだらだらと延々と書いてきたが,何とでも言えるわけだ。「とってみないことには分からない」ことではあるけど,ひとつ確実に言えることは,今回育休を取得した決め手は,運や縁といった不確実なものの巡り合わせだろう。いろんな意味でのタイミング。仕事に対して,逆に後ろ向きならば取るべきではないようにも思う。運や縁の面では,自分にとって重要な先輩が育休をとったことと奥さんの心が広く,「一緒に育児がんばろう」というつもりかどうかは分からないが,そんな感じの良い奥さんと結婚できた幸運に恵まれたことだろう。

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12.育休取得~勇気と覚悟の決断

 育休を取得するに至った経緯を振り返ってみた。当然ながら,悩んだ期間,決めてからさらに変えようのない現実に苦しんだ期間のことをここにすべて書けるはずもないのは,文字数的なことよりも,思いや動機の言語化ができないことのほうが大きい。世間一般の人たちが,いわゆる「男の育休」や「育休パパ」についてどう思っているかは分からないが,ぼくが言いたいのは,育休をとること自体,ものすごく勇気とか覚悟といった類の目に見えないパワーを使ったということだ。安易に安直に,短絡的に決めたのではない。真剣に考えて決めた。世の中には,生後7か月の子に乳製品飲料を与えてアナフィラキシー症状を引き起こさせ炎上したとんでもなく情けない(奇しくも同じ1年)育休パパ」がいるようだが,本当に自分や自分の家族,奥さん,子ども,家庭,人生に向き合おうと育休を取得したつもりである。どうしてもしたかった仕事を休んでまで手にしたこの大切な1年間を良いものにしたい2024年3月末に「育休とってよかった」と思いたいのだ。もちろん,自分だけでなく,自分の家族みんながそう思う1年にしたい。育休を取得したことで人生が変わった,自分が変わった,世界が変わった,家族との関わり方が変わった,そんな期待は微塵もしていない。ただ,この1年をより良き1年にしたい,その一心で過ごすのみ。あまり気合を入れすぎるとよくはないけれど。

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