【いつかやりたいなら】育休を取得して叶ったこと~自分の親編【今のうちに親孝行を】

育休ライフ
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育休を取得すると願いが叶う!

「やっておいたほうがいいな」

「いつかやりたい」

そう思いつくことは多々あっても,実際に行動に移せないことが多い。

それは,「やっておいたほうがいいこと」や「いつかやりたいこと」は,「いつでもできる」と思っているからである。

この「いつでもできること」は,優先順位がものすごく低い。仕事や子ども,家族のことなど,やらなければならないことがたくさんあるからだ。

優先順位の話をすると,生きていく上での最優先は当然,「やらなければならないこと」になる。仕事ややらないと生活に支障をきたす家事などが該当する。

その次は,「やるべきこと」だ。仕事をしている人は,仕事上必要な資格を取得したり知識を身につけたりすることで,家庭内では必要最低限の家事や育児に+αしたようなもの。たとえば毎日の片付けや掃除。やらなくても命に支障はないが,ずっとやらないでいると精神的に不健全になってしまうようなこと。できれば毎日やるべきことだ。

その次は,自分自身が「やりたいこと」やなんとなく「やったほうがいいな」と思うこと,いつかは「やらなければならない」と思っているが,緊急性を要さないもの,今やっても遠い先の未来にやってもいいようなことだ。

今回は,誰でもが心には思っていること。その「やっておいたほうがいいな」「いつかはやりたいな」と思っていることの1つである【親孝行】について。

『育休中に叶ったこと~自分の親編』と題して書いていく。

育休中に叶ったことの【夫婦編】【自分編】【家族編】は以下。

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親孝行って?

【親孝行】って何だろう。

というところからはじめなければならない。

そもそも【元気に生きていること】自体が親孝行になるし,子どもが社会人になって【多くのお金を稼いで家を建ててあげること】も親孝行だ。場合によっては,子どもが自分らしく自分の夢を実現することも親孝行になるし,一方で親の望んだ子どもになることこそが親孝行になることもあるのか。

子どもが親孝行だと思って親に対してやったことが親孝行であるとも限らない。親からしたら有難迷惑で,子どもの自己満足でしかないのかもしれない。親孝行ではなく,ただのお節介と思われるとかなしいが。

これも反対に,子どもが何気なくしていることこそが親にとってものすごく喜びを与える親孝行かもしれない。なんといえばよいのか【ステルス親孝行】とでも名付けておこう。

親孝行を調べてみた

辞書で調べてみよう。そのままコピペした。

[名・形動](スル)親を大切にし、真心をもってよく尽くすこと。また、そのさまや、その人。「—したいときには親はなし」「—な少年」⇔親不孝

goo辞書

おもしろい。親を大切にしていれば親孝行になるのか。真心をもってよく尽くすか。(ついでに「真心」とは,偽りや飾りのない心らしい。)

例文として「親孝行したいときには親はなし」が挙げられているのがおもしろかった。

これはおそらく,自分の子が自立して経済的にも安定してやっと親孝行できる!という段階になると,自分の親が亡くなってしまっているからだろう。

反意語として親不孝が挙げられている。つまり,親不孝の反対のことをすることが親孝行になるということか。

現代の「親孝行」

ぼくが育休に入って少し経った頃,(批判を覚悟の上でいうが)「育休パパと定年退職者って似ているな」と思った。(当然,会社や世の中への貢献度や勤続年数,与えた影響,育てた人材,それらに伴う経験のすべては比べものにはならない)

毎日仕事をしていたところから急に仕事がなくなる点や,「やりたいことやるぞ!」「育児がんばるぞ!(孫とたくさん関わるぞ!)」と思っていたが,いざその立場になってみると物足りなさを感じる点など。

なんとなく似ているなと思ってから,いわゆる「定年本」を数冊読んでいた時期があった。その中の一冊に「親孝行」について書かれていたので紹介する。

親の認知症を防ぐことこそ,現代の「親孝行」

『70歳の正解』和田秀樹 著 第4章 家族円満の正解

あくまでも定年退職者である60代の人が,80~90代の親に対する親孝行についての記述だが,今の自分にも当てはまると思った。

ぼくの親も60半ばになってきた。認知症っていきなりなるものではないし,退職してやることがなくなったり,人との関わりが減ったりすることなど社会とのつながりが薄くなることが原因となる場合がある。

自分の親も奥さんの親も定年をこえ,短時間勤務だったり,仕事をしていなかったりする。

その親が認知症になったら,こっちが困る!(心の声)

だから,ぼくは決めた!「親を認知症にしない!」

認知症になるべくならない方法としては,上記引用の和田秀樹さんの書籍『70歳の正解』を読んでいただきたい。というかこの和田秀樹という人は,高齢者専門の精神科医でありながら,いわゆる「定年本」を出しまくっている。どれでもいいので1冊読んでみるといい。

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育休中だからできた親孝行

前置きが長くなりすぎたが,ようやく本題へ入ることにする。気持ちとしては,「親への感謝」が大前提で,「やってあげなくては!」という思いもなくはないが,わりと純度高めの「親孝行」だと自覚している。

「親孝行をしたい!」というのが先にあるのではなくて,「感謝を伝えたい」「喜ぶことをしたい」それが先に在ることを念押ししておきたい。

なぜならば,ぼくは男三人兄弟の「三男」で,こんな言葉はないかもしれないが,「末っ子コンプレックス」みたいなものがある。末っ子で甘やかされてきたことやそれによって自己中心的になったことも含めて。かわいがられたり,容易に許されたりした恩恵を受けていることも含めて。

3人兄弟で男なので,親はきっとぼくに女の子を期待しただろうなとか,末っ子だからもしかしたら産まれていなかった可能性があるなとか。考えてもしかたがないことをよく考える。

また長くなってきたので簡単にいうと,要するに親に「産んでおいてよかった」と思われたいのだ。「3人産んでよかった」と。

子どもとたくさん関わってもらう

親からすると親孝行になってはいないのかもしれないが,子どもにとって身近な大人の存在が親だけというのは,さみしい気がする。そこでおじいちゃんやおばあちゃんにたくさん関わってもらう。

人と人との関係は,一朝一夕でつくられるわけではない。小学校のように6年経ったら関係が終わるわけでもない。生きている限り続くのが家族だ。

ぼくの子が20歳になったときも結婚したときも,おじいちゃんやおばあちゃんには元気でいてもらいたい。

だから,可能な限りおじいちゃんやおばあちゃんと関わってもらう。子どもとたくさん関わることで,外に出て体を動かす。子どもが好きなものに敏感になる。わがままな態度をとられてあたふたする。対応を考える。前頭葉が刺激される。認知症を遅らせられる!!

親との旅行

これはいつからか抱いていた夢の1つでもある。自分が結婚をして子どもができ家庭というものができたら,自分の親と旅行に行きたいと思っていた。

ぼくの母親は,ぼくのおばあちゃんと一緒に暮らしながら介護しているので,なかなか長時間外にでることができない。泊りがけの旅行は難しいと思っていたが,なんとか1泊2日で旅行にいくことができた。

昔,自分が親に連れていってもらったところに行くのでもいいし,親が知らない場所に行くのでもいい。

これも親がどう思ったかは分からないが,きっとぼくたちの家族にとっても,親にとっても忘れらない思い出になったのではないだろうか。

またいつか必ず行きたいと思った。

親に教える

親は定年退職をしてから,やたらと保険に加入している。ぼくたちの親世代は,本当に保険が大好きな世代だ。備えてなんぼの世の中だったようだ。

定年退職をした人を対象にした保険がたくさんある。保険会社は退職金をたくさんもっている退職者を狙っているのだ。

ぼくは,育休に入ってすぐFP3級を取得した。なんせ育休は手当金をいただけるのがとてもありがたいが,家計が厳しくなるからだ。ライフプランを作成し,家計を見直し,保険を改めようと思ったからだ。

育休中の資格取得や実際にFP3級を取得した方法は以下。

社会保障や保険について勉強していると分かってくるが,保険って必要な部分と要らない部分がはっきりしているなと。

親に保険のことをきくと,必要以上に入っている気がしてならなかったので,やめることを薦めた。

子どもがなかなか親の言うことを聞かないこと以上に,親は子どもの言うことを聞いてくれないことを実感して残念な気持ちにもなった。

子どもであるぼくが言うことよりも,生保レディの言うことを信じるのか!!

親世代は保険が大好きで,肩書に弱い。ぼくも一応FP3級(大したことははい)を取ったというのに!

ただ,そのおかげもあって,親から相談されるようにはなった。保険に入るくらいなら,NISAをしろと言ったのは納得してくれた。

父親のように

父親は昔から辞書のようだった。聞いたらなんでも答えた。ぼくが聞いたことに対して「分からない」と言ったことはないのではないかというくらいに。

たぶん「わからなくても」,自分の中にある知識をつなげあわせて,それらしく答えていたこともあるのだろう。(そうでないと説明がつかない)

そういったところも含めて真似したいと思う。自分の子どもに教えてと言われたら,素直に分からないことを分からないということも大事だが,一緒に調べてみたり,調べる前に「どう思う?」と問うたり,しながら,最後にはやっぱ「お父さんはすごい!物知り!」と思われたいから。

そんな父親に保険のことで頼ってもらえたことがうれしかった。

今思えば,自分のため,自分の家族のために勉強したFP3級が,「親孝行」につながったんのだなと思えた。

母親にとって

ぼくは一体どんな存在なのだろうか。

やっぱり母親には「産んでよかった」と思ってもらいたい。きっと「産まなければよかった」と思ったことはあっただろう。(ないかもしれないが,それくらい迷惑はかけた)

本当にわがままをたくさん言ってきた。文句も言った。傷つけるような言葉をたくさん言ってきた。

それでも母親は母親だった。

今回,ぼくが育休をとって,母親との関わりが増えてことで「親孝行」になっていればいいなと思う。

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親孝行をしたい

ぼくはよく「親孝行しててすごいね」と言ってもらえたり,「親孝行したいって思えるのが偉いね」と言ってもらえたりする。

それは,親がぼくをそんなふうに育てたからだと思う。

いわゆる「親孝行をしたいと思う良い子」にぼくが勝手になったのではない。

親の影響が大きい。奥さんのおかげでもある。さらにいうと,ぼくが人生で経験してきたことすべてがそうさせたのだ。

「親ガチャ」という言葉を安易に使うべきではないと思うが,仮に本当にそれが運だったとしたら,ぼくは運がよかったのだろう。世界には生まれて間もなく親と離れ離れになる人もいれば,明日食べるものもままならない世界に生きる人もいる。持って生まれた病気や環境についても。

あまり声を大にしては言えないが,ぼくはとてもよかった。

だからこそ,もし子ガチャがあるのだとしたら,よかったと思ってもらいたい。

いくつになっても親は親で,ぼくの親の子だから。人間として成長していきたい。

「親孝行」の形はいろいろある。環境や状況によって,できること・できないことがある。

自分なりの親孝行ができればいいと思う。

真心をもって。

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