過激なタイトル,残酷すぎる真実,人間の醜い本性,善意という名のマウンティング,正義の裏に潜む快感,物事の本質…。
この本をおもしろいと感じる人は一体どんな人だろう。世の中の本質や人の本性を知りたい?
自分の【バカや無知】に気づき,それを自分として受け入れ,人生に活かそうとする人なら読むべし!と思った。
これもある意味,偏見なのかもしれないが,今の世の中に対して疑問をもっている人(たとえば,芸能人の不祥事問題に過剰に反応する人,メディアの報道,SNSなどに対して異常なまでの依存など)にとっては,興味深く読めるはずだ。
『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』の概要
一応,育休ブログということもあって,育児,子育てに結びつくことや,親としてどう在るべきかに視点をおいてこのブログを書いていきたい。
30代の育休パパが読む『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』
【二重の無知】知らないことを知らない。
「バカの問題は自分がバカであることに気づかないことだ。なぜならバカだから。」
というのが,ダニング=クルーガー効果だ。
引用:『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』
心理学者のダニングと博士のクルーガーが行った実験に基づいてこのようなことが書かれている。詳しくは本書を読むといい。
【知っていることを知っている】自分は足し算の計算法を知っていることを知っている。
【知らないことを知っている】たとえば,スマホがどのような原理で稼働しているのか知らないということを知っている。
【知らないことを知らない】これが【二重の無知】で,知らないことを知らないので対処のしようがないということだ。
子どもの勉強の振り返りや答え合わせなどの場面を思い浮かべてほしい。問題を解く→答え合わせをする→間違いを見つける→類似問題を解く→定着という流れがあるが,この場面で,【知らないことを知らない子】つまり認知能力が低い子は,どこでなぜ問題を間違えたかが分からない。永遠に。
認知能力が高い子どもがフィードバックを受けて学力を高めていくのに対し,認知能力が低い子どもは,授業の内容が難しくなるにつれて脱落してしまうのだ。
引用:『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』
だから,ここで大事にしたいのは,年齢に応じた教育を行うことと分からなくなった時点まで戻るということだ。
いわゆる「早期教育」が否定されているのもこういった理由があるからだ。まずは基礎の土台を安定させなければ,その上に知識は乗っからない。安定せずに崩れ落ちてしまう。
子ども自身が「自分が分からないこと」を知ることが第一歩である。
さらに,もっとたいせつなのは,親である自分が「子育て,育児について,何も知らない。」ということを知らなければならない。
「子育てについて知らない・分からない」と思うなら,学ぶしかない。
子育て支援センターに行くもよし,育児に関する本を読むもよし,誰かに相談するもよし。
そこでまたたいせつなのは,得た情報,知った方法などを鵜呑みにせず,自分の子を自分の目でしっかりと見て,関わっていくことだと思う。
自尊心は原因ではなく結果
人間だれしもに備わっている自尊心。本書では【やっかいな自尊心】として,人種問題,赤ちゃんや子どもの道徳意識,パーソナリティなどの調査・実験から論じられている。
「自尊心は原因ではなく結果」だという当たり前のことが❝科学的❞に証明された。
自尊心が高いと学業成績がよくなるのではなく,テストでよい点数をとることで自尊心が高まるのだ。
引用:『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』
一般的には,「あなたは価値のある人間ですか?」などの質問事項から測る主観的な【よくわからない自尊心】を客観的に調査した結果が上記の引用文である。
少し疑問に思ったのは,自尊心を高めるにはテストでよい点数をとるしかないが,テストで良い点数をとるための「勉強」という行為は,自尊心とは無関係なのかということ。
❝「ほめてのばす」=自尊心を高める教育は,意味がないばかりか有害である可能性がある。❞ことも言及されている。
❝自尊心は報酬である❞という研究者もいる。
良い点数をとって褒められて報酬(自尊心の向上)を受け取るべきであるのに対し,先に報酬(ほめられて自尊心を向上させる)を与えると頑張らなくなるというもの。
だからといって,自尊心をさげるような言葉かけを親や大人がしてもいいのかというと難しい。
教育が成立するには,教師の権威が必須である理由を教えてくれる。生徒が教師を尊敬しているか,すくなくともその科目については自分より高い能力をもっていると認めているのでないかぎり,あらゆる言葉は「攻撃」と受け止められてしまうのだ。
引用:『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』
社会のリベラル化が進み,生徒が教師と対等だと思うようになると,叱責は自尊心への攻撃とみなされる。
引用:『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』
親として,子ともとどう向き合うかを考える時に,これらの言葉をどうとらえ,活かせばいいだろうか。
自尊心の脅威だとみなされてしまうと,どんな言葉も子どもの中に入らなくなる。言葉を伝えるためには,子どもの自尊心を傷つけてはならない。
対等だと思わせると,攻撃とみなされるなら,圧倒的な差がないといけないということになる。
子どもは弱い存在で,強い存在に憧れる。自分ができないことができる親,分からないことを知っている親,いつも関わって遊んでくれる親。
❝自尊心は他者との関係性で決まるものだ。❞とも書かれている。
やはり,本当に基本的なことだが,子どもとしっかり関わる中で,親も親で得意なことを示したり,人生の先輩としての威厳を見せていくことも必要だろう。
信頼させすぎないほうがいい?
おもちゃの遊び方を子どもに教える実験で,大人が「自分はエキスパートだ」といったとき,子どもは動作のすべてを忠実に真似た。
それに対して,「おもちゃについて何も知らない」といわれたときは,子どもたちは「効率的,知的,そして創造的」に行動した。大人が信頼できなければ自分で考えるしかないのだ。
驚いたことに,生後24か月の幼児でも実験者の自信を正確に判断することができた。
引用:『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』
【人を信頼する】ということは素晴らしいことだが,信頼しすぎるとその人のしていること,やっていることがすべて正しく思えてしまう。この本では,❝信頼の裏に服従❞権威には服従するしかない。と書かれている。それが人間の本性だとも。
それを,上手に使いたい。ずるがしこく使うのではなく。
自分もバカで無知なんだ
人の親になって4年弱。もちろん,自分の子をバカにしているわけではないが,心のどこかに,「自分より劣っている」とか「自分がしつけなくては」とか「こんな子になってほしい」などという思いがある。
教えてあげなくてはいけない。叱らなくてはいけない。こうあるべきだ。親としての責任が!と…。
それは親として親の責務を果たしたいという思いもあるのだろうが,それが良くないこともある。
❝責任を強く持ちすぎると,そのものに対して権利があると錯覚してしまう❞というようなことを岡田斗司夫さんが述べていたが,子に対する責任をもちすぎると,その子を自分の思うようにコントロールしようともしてしまう。
バカと無知はちがう。バカは能力の問題だが,無知は問題解決に必要な知識を欠いていることだ。
あなたがどれほど賢くても無知な可能性はあるし,実際にはほとんどのことで無知だろう。
引用:『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』
自分もバカで無知なことを自覚し,子どもに対するときもそうでないときも,自らの言動に注意を払い,生きていきたい。
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