【児童文学】が子どもに教えてくれるのは,世界の広さや生きることへの前向きな姿勢だと思う。決して目には見えないものを,作品の中で空想させて出逢わせてくれる。
では,【児童文学】が大人に教えてくれるのは,なんだろう。
きっと,純粋な心とか,忘れたくない気持ち,空想すること,希望を抱くこと,夢を見ることなどではないだろうか。
つまり,大人になるにつれて失ったものではないかと思う。
ぼくが最初に読んだ時は,みどりのゆびの子は,チェストーという名でした。この本ではチトになっています。この本が書かれた頃も,今も戦争はすこしもなくなりません。貧乏も刑務所も増えているほどです。ぼくらのゆびはみどり色ではありませんが,チトの側にいようと思っています。
『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』 宮崎駿 著
アニメ界の巨匠である宮崎駿監督の言葉である。【チトの側にいようと思っています】という言葉が印象的な紹介文。【チトの側】とは?それを意識して考えると,より物語のメッセージが伝わってくるような気がする。
『みどりのゆび』概要
著者のモーリス ドリュオンという人は,フランスの小説家でもあり政治家でもあったという。小説では『大家族』によりフランスの最も権威ある文学賞ゴンクール賞を受賞している。
児童文学では『みどりのゆび』を通して,戦争への怒りと平和への願いを綴っている。
刊行された1957年という時代は,世界的には第二次大戦も終わり,講和条約なども結ばれ平和へと向かっていった時代ではあるが,まだまだ不安定で予断を許さない状況でもあった。世界の覇権を握るべく,宇宙開発や核実験などをしていたという背景もある。
そんな中でいわゆる大人向けの小説という形ではなく,児童文学の形をとってこれからの子どもたちに向けた平和への願い。それが『みどりのゆび』ではないだろうか。
おとなとは
じつは,おとなたちは,わたしたちのほんとうの名まえを知らないのでしょう。それからまた,知ったかぶりをしてはいても,わたしたちがどこからやってきたか,なぜ生まれてきたか,そしてこの世で何をしなければならないかも,知らないのです。
『みどりのゆび』 モーリス ドリュオン 著
児童文学では,たびたび「おとな」について語られる。本質を見ようとしない存在として。たいせつなことを無視する存在として。数字ばかり追いかける存在として。
それを真っ向から否定する。いわゆる人間としてどう生きるのか,「善」とは,「正しさ」とは,そんなことを考えさせてくれる。
生きるから学べる
人生とは,いちばんいい学校なのだ。ろんよりしょうこだよ。
『みどりのゆび』 モーリス ドリュオン 著
実感を伴った学びは忘れない。体感を伴う勉強は身につく。
チトはこうした学びのおかげで,自身の力に気付き,有効につかっていく。
本や教科書から学べることがすべてではない。自分が体を動かして,働きかけて学べたことは一生涯,自分の中に残り続ける。
言葉にできないこと
おとなというものは,説明できないものをむりやりに説明しようとする,へんなくせがあります。
なにかあたらしいできごとが起きると,それがじぶんの知っていることに似ている,とむちゅうになって証明したがるものです。
『みどりのゆび』 モーリス ドリュオン 著
大人は,下手に経験があるし,それなりに生きたという自負があるからこそ,ある程度の年数生きると,新しい出来事を「新しいもの」として受け入れなくなる。
すでに経験していることとの共通性や類似性を自ら見出し,当てはめカテゴライズしようとする。
だから成長しないのだろう。
自分をこれ以上大きく深く広くしようとしないのだろう。
子どもも人間
チトは,太陽がその光をうしない,まきばがまっくらになり,そして空気がまずくなったように感じました。不安のしるしです。
おとなは,じぶんたちだけが不安をあじわうことができるとおもいこんでいますが,チトぐらいの年ごろのこどもにも,感じることができるのです。この不安の名まえは,かなしみといいます。
『みどりのゆび』 モーリス ドリュオン 著
子どもの頃は,大人は何でも知っていて,何でもできる完ぺきな存在だと思っていた。だから,大人が言うことを聞いていた。
大人には,悩みもなく,苦しむこともなく,明日が来ることもなんとも思っていないと,思い込んでいた。
でも,大人になってみると,大人こそ苦しみ,悩み,惑うものだと思うようになった。子どもは何の責任もなく,与えられ守られるだけの存在だとどこかで思うようになっていた。
それもちがう。
大人が思うほど,子どもは小さくない。
子どもが思うほど,大人は大きくない。
同じ人間である。どちらの側だとしても,尊重することがたいせつだと思った。
【チトの側】とは。【花】が表すもの。
宮崎駿監督がいう【チトの側】とは,なんだろう。
純粋な心をもつ者ともいえるし,戦争を止める側の人ともいえる。
刑務所を花でつつむ人。❝「この刑務所,もう少しきれいだったら,逃げたいなんて思わないのに」❞
【花】が救う。けがれのないもの。くもりのない心。
花はただ咲くだけ。自分を美しいものだとも知らずに。自分が心を鎮める香りを纏うものだとも知らずに。
純粋すぎるがゆえに,人を救う自覚もない。それが花。
自分の中に花はあるだろうか。
心に花を咲かせることができているだろうか。
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