育休を取得したおかげでたくさん読書をすることができている。特に,今まで読んだこともなかった分野の本【児童文学】と出会えたのは,自分の人生の中でもかなり大きな出来事の1つだろう。
育児をしているからこそ,【児童文学】に興味をもてたともいえる。
そんなに多くはないが【児童文学】を何冊か読んできて,好きな児童文学作家というものに出逢えた。
児童文学と一括りにしても,多くの国で多くの時代で多くの作家が多くの作品を発表している。とりあえず,有名どころの作品を読んでみてはいるが,ある時気づくのだ。
「この作品をかいた人は,他にどんな作品をかいているのだろう」と。
ぼくが,その作家の他の作品を読んだのは3つのケースだ。
その作家の他の作品を読んでみたいと思うということは,その作家を好きになったといえるだろう。
この中でも特にケストナーを好きになった。
同作家3作品目は,ぼくの中で最高記録だ。ぼくが大好きなケストナーの児童文学作家としてのデビュー作『エーミールと探偵たち』
本当にわかりやすくておもしろい。すぐに読める。わくわく感もあるし,主人公の成長がページをめくるごとに自然と分かりやすくなっていく。
ケストナーとは
作品を好きになると,その作家についても知りたくなる。以下,アマゾンの著者情報を載せておく。
1899‐1974。ドイツの詩人・作家。ドレースデンに生まれる。貧しい生活のなかから師範学校に進む。第一次大戦で召集される。大学卒業後、新聞社に勤める。1928年『エーミールと探偵たち』で成功をおさめたが、やがてナチスにより圧迫を受ける。1960年、国際アンデルセン大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)(「BOOK著者紹介情報」より)
戦争体験,ナチスからの圧迫など,当時の時代背景が作風にも表れている。しかし,子どものための小説であることで読者を微笑ませてくれたり,クスっと笑わせてくれたりする。
こんな子どもになりたい!こんな親になりたい!そう思えるキャラクターがたくさん登場することも作品をより魅力的にしている。
こんな親子になりたい
本当に,エーミールとお母さんの関係が最高に良い。理想というと語弊があるかもしれない。こんな親子関係いいなぁと憧れるような親子だ。
お父さんはいない。貧乏。休む間もなく働いている。こうした家庭環境なので,軽々しく「こんな親子になりたい」なんて言ってもいいのか…。
エーミールに満足のいく子育てができていないと感じているお母さん。
エーミールのためにいつもがんばってはいるけれど,時間をとってしっかり関わってあげられていないと感じているお母さん。
でも,エーミールはわかっている。いつもお母さんは自分のためにいろいろなことをしてくれている。
だから,エーミールもお母さんのためにがんばって生きている。
学校やいろんなところでほめられると,うれしかった。それは自分のためではなくて,母さんがよろこぶからだ。母さんが,毎日せっせと自分のためにしてくれていることに,自分なりにすこしは恩返しができたと思うと,エーミールは鼻が高かった。
『エーミールと探偵たち』 エーリヒ ケストナー作
「こんな親子になりたい」とかいたが,なれるものではない。ひとつの憧れとして,この物語の親子は本当にうつくしい。
「いい子」のエーミール
お母さんのために「いい子」になったエーミール。
おくびょうで根性がケチ臭くて,ほんとうの子供らしさをなくしているために,「いい子」のふりをするしか知らない連中とはわけがちがう。
エーミールは「いい子」になろうと思ってなったのだ!
(中略)
エーミールは「いい子」になろうと決心した。そう決心したおかげで,つらいなぁと思うこともよくあった。
『エーミールと探偵たち』 エーリヒ ケストナー作
これも分かる気がする。ぼくは「いい子」ではなかった。ただ「いい子」になるってつらいこともあるんだろうなということは分かるような気がする。
そこには,おそらく「我慢」があるような気がするからだ。やりたいことをやりたいようにはできないとか。言いたいことを言えないとか。望んだことを口に出せないとか。
自分のためではなく,親のためにがんばることとか。必ずしもそうではないかもしれないが。
「いい子」という言葉をどう定義づけするかによるかもしれないが,きっとつらいんだろうと思う。
それでも,大人や親は,子どもを「いい子」にしようとする。絶対その方がいいから!って。「いい子」になれなかったぼくも,自分の子をなんとか「いい子」にしようとしているのだから,何かが変だな。
エーミールのように「いい子になろう!」と決心できる子なんてそうそういないだろう。
かっこいい父親像
エーミールは仲間を見つける。その仲間の中でも司令塔の役割をこなす中心人物「教授」と出会う。
その教授の言葉に,かっこいい父親像があった。教授の父親と教授の関係がまた素晴らしい。
おれは父さんに約束しているんだ,きたないことやあぶないことはしないって。約束さえまもってれば,やりたいことをしていいんだ。
(中略)
父さんは言うんだ。父さんがいっしょにいても,おんなじことをするかなって,いつも考えろって。
『エーミールと探偵たち』 エーリヒ ケストナー作
お互いが信頼している。信用している。だからこそ,教授のように判断力があって,自立した子どもになるのだろう。
いつも心には父親がきちんといる。行動の判断基準も「あぶないことはしない。きたないことはしない。」というもの。
ここからがさらにすごい。あぶなくても友達のためなら,何かのためなら,正義のためなら,判断基準が一段上がる。「父さんがそこにいてもやるかどうか」
きたないことなら,正義に反することならやらないだろう。あぶないことでも正義のためなら父親がいてもやるだろう。
本当にかっこいい。
迷わずに行動できるのは,父さんが心にいる。だから,決断して行動に移せるのだ。
教授の父さんみたいな父親になりたいな。
まっすぐなエーミール
「母さんがそうしろっていうの?」
「そんなわけないだろ?ぼくがそうしたいんだ。」
『エーミールと探偵たち』 エーリヒ ケストナー作
この会話が名言すぎるには,どんな内容の会話か知る必要があるだろう。
貧乏な家庭に育つエーミールのお母さんが遠足の時エーミールに他の子と同じくらいおこづかいをもたせてくれるが,エーミールは他の子とちがって半分も使わない。
本当にエーミールは「いい子」すぎる。
「9時まで遊んでいいって母さんが言っても,ぼくは7時には帰るんだ。だって,母さんがひとりで台所で夕ご飯を食べてるなってかわいそうだと思うもの。
(中略)
いっしょにいることしか,ぼくたちにはできないんだよ。
だからって,ぼくはお母さんっ子じゃないよ。」
『エーミールと探偵たち』 エーリヒ ケストナー作
いわゆるマザコンではない!と言いたいのだろう。その通りだ。悪い意味での依存関係ではない。エーミールは,自立したひとりの人間なのだ。だからこそ,物語では,ひとりで困難に立ち向かい,仲間を得ることができる。
もちろん,現実の話ではないのでこんな子はいないと言われればそれまでだが,ケストナーの子どもに対する思いが作品に込められていること。作品を通して,素敵な子どもに出逢えることで心が洗われる。
コメント