【日常こそ特別に!】世界一つよい女の子!『長くつ下のピッピ』/リンドグレーン作【楽しくない日なんてない!】

育休中に読んだ本
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アニメ界の巨匠・宮崎駿,その唯一無二の存在でありながら終生のライバル・高畑勲,伝説のアニメーター小田部洋一の3人が若き日にアニメ化を夢見た『長くつ下のピッピ』

一体どんな作品なのだろう。日本を代表するクリエイターがアニメにしたい!と思い,高畑は字コンテ,宮崎はイメージボード,小田部はキャラクターデザインなどをたくさんかいていたという。

1970年代後半あたりの話だろうから,その時代に失われつつあるもの,必要だと感じたものがつまっていたのだろう。

残念ながら,作者の許可を得られず,アニメ化にいたらなかった。もし,このアニメが映画化,テレビアニメ化されていたら,一体どんな世界になっていただろう。


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『長くつ下のピッピ』の概要

『長くつ下のピッピ』

 ‎ 岩波書店; 新版 (2000/6/16)

原作は,1945年にスウェーデンより出版

作者:アストリッド リンドグレーン

1907年に生まれ、スウェーデン南部の農場で育ちました。1944年、児童書の新人賞を獲得した『ブリット‐マリはただいま幸せ』で作家デビュー、1945年に『長くつ下のピッピ』を発表して、一躍人気作家になりました。生涯に34冊の児童文学と41冊の絵本を出版し、発行部数は総計1億7千万部に達し、100以上の言語に翻訳されています。リンドグレーンは2002年に惜しまれながら亡くなりました。

世界一強い女の子ピッピのとびきりゆかいな物語。となりの家に住むトミーとアンニカは、ごたごた荘でサルと一緒に自由気ままに暮らしているピッピがうらやましくてなりません。(「MARC」データベースより)

女性の作家ということもあってか,家の中の描写がものすごく細かい。料理をしているシーンなんかは本当に目の前で見ているかのような細やかさ。

『やかまし村の子どもたち』同様に,子どもの夢や希望,理想に満ち溢れた作品である。すべての子どもたちは,やかまし村に住むことを憧れて,ピッピの隣に住むことにも憧れるだろう。

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生きてるってすてき

「生きること」について,どう思うだろうか。そんなこと考えたことない。考えが及ばない。必死に生きていても,だらだら生きていても,生きることについて考えることさえあまりない。そんな現代を生きるぼくだが,ピッピはこう言い放つ。

生きてるって,やっぱりすてきだわ!

『長くつ下のピッピ』アストリッド・リンドグレーン作

この言葉を放ったのは,ごくありふれた日常の中である。自分で焼いたクッキー,淹れたてのコーヒー,友人を招待して待っている。日当たりの良いベランダで,花の良い香りがする。一緒に住んでいるサルのニルソン氏と馬と共に。

ありふれた日常に対して,五感を働かせ,心から❝生きてるってすてき!❞って言える人生を歩みたいものだ。

「生きてるってすてき!」と思っているピッピと関わる友だちも「たのしい!生きるのいいな!」と思うだろう。

本当に誰にも影響されない太陽のような明るくてつよい女の子。

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今日も運の良い日

あんたたちがきてくれて,ほんとによかったわ。きょうも,運のいい日だったわ。まちがいっこなしよ。

『長くつ下のピッピ』アストリッド・リンドグレーン作

この場面の「あんたたち」というのは,おまわりさんである。子ども1人で暮らすピッピを「子どもの家」(つまり孤児院)に連れていこうとやってきた警察官である。

問い詰められたり,追いかけられたり,孤児だからという理由で馬鹿にされるようなことを言われたりするのだが,ピッピはすべてを遊びに変えてしまい,おもしろがる。

【おまわりさんがおうちに来て自分を孤児院に連れていく】というところだけみると,本来ピッピの立場からすれば,【運の悪い日】になってもおかしくないのに,ピッピからすると災難も運が良い日に変えてしまうのだ。

ピッピは与えてもらおうなどと全く思っていない。自らが世界に働きかけ,自分の意思で自分の人生を生きている。

子どもは,どんなくだらないもの(大人からしたら)でも,おもちゃに変えてしまう子どものように,どんなつまらない日常も楽しくしてしまうのだ。

これこそが,現代に生きるぼくたちが失ったものではないだろうか。

世の中にはモノがあふれている。与えられ慣れてしまっている。自らの人生を自らの手で動かしている大人が一体どれくらいいるのだろうか。

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なんでもやってみる

やりたいことなら なんでもしてみる

『長くつ下のピッピ』アストリッド・リンドグレーン作

やりたいことをすぐにできる人って羨ましいなーと思うことがある。

いつから,やりたいことがあるのに躊躇する大人になったのだろうか。

やりたいことをやり続けている人もたくさんいるだろう。

まず【やりたいこと】が見つかったら,どうやってやるか,やってもいいか,やったらこの先どうなるかなどと言ったことを瞬時に考え,(やりたいことの規模にもよるが)結局やらない…。できない…。という人が多いのではないか。

育休ぼく
育休ぼく

いや,まさしくぼく自身がそうなのだが。

ピッピは,そのことを考えているのかいないのか,とにかくやりたいと思ったと同時にやる。考える間もなくすぐにやる。

そう。【やりたいこと】を目の前にして,できない理由を探して言うだけ言ってやらないのがぼくのパターン。

【やりたいこと】を目の前にしたら,やるしかない。できないのではなく,やるかやらないかしかないのだ。

それも,ピッピの場合は,どんなことでもやってみる。そこからさらに楽しむ力,おもしろがる力が半端ではないから,後悔も一切しない。というより,後悔しないような生き方をしている。

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まとめ~世界一つよい女の子

いつもほんとのことばかりいえっていったって、むりじゃない?

『長くつ下のピッピ』アストリッド・リンドグレーン作

ピッピは【世界一つよい女の子】と言われているが,その強さは腕力の面だけではない。軽々と牛や馬を持ち上げるほどの腕力に目がいきがちだが,いじめっこや警察,泥棒にも立ち向かう精神や本質的に人やものを大事にする心。

これが【世界一つよい】所以なのだと思う。

1人で生きていく強さ。

頼るべきところは人を頼る強さ。

人を助けても「おもしろかった!」と見返りを求めない強さ。

警察だろうと泥棒であろうと立場で人を見ないところ。

ウソもホントも信じている心の豊かさ。

悪いと思ったら謝れるところ。

ありふれた日常を輝かせるところ。

本能のままに生きているように見えて,自分の考え方がしっかりある。

海という広い自由な場所で育ったにふさわしい女の子というわけだ。

まさに世界一つよい女の子である。

ぼくたちは,どこか自分にはできないようなことを有名人なるものに任せて,投影させ人がやっていることを見て感動したり,涙を流したりする。自分にできないことを他人がやってくれる。それを見てやった気になるということは往々にしてあるものだ。

「子どもっていいな」とよくおもう。

かつて子どもだったぼくたちを見るとピッピはきっと言うだろう。

「つまらないおとなね」って。

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