誰も得しない記事をかこうと思う。たまには至極,個人的な記事をかきたくなるものだ。普段,記事をかくときは,仮想の対象がいる。多くは育休を取ろうとしているパパ。男性育休に関心があるパパやママ。子育て中のパパやママがそうだ。目の前に人がいない分,特定の対象に向けていない分,ある程度好きにかくことができる。ただ,意識の中でも無意識的にも,ぼんやりと先述した対象に向けてかこうとはしている。今回は,それすらも取り払い,今の自分,これからの自分に向けたことをかこうと思う。
この記事をかこうと思い付いた理由
なぜ,こんなことをかこうと思ったのかを考えてみたい。
環境的な要因は,年末ということで奥さんが子どもを連れて実家に一足さきに帰ったということだ。3日後,ぼくも奥さんの実家に行くわけだが,この3日間は【ひとり時間】。寂しさもあるし,楽しみもある。基本的にすべてのことには表があれば裏もある。
普段,毎日顔を合わせていると希少性という意味で【ありがたみ】を感じられないことも要因のひとつだろう。物理的な距離が離れることで,その人に対してしっかりと考えられることは往々にしてあると思う。
夫婦ともに育休中なので,奥さんと付き合ってから5年弱の間で最も一緒にいると言っても言い過ぎではない。かといって,今まで知らなかった奥さんの姿を見た!なんて大それたことはないけれど,新たな一面に気が付いた面もある。
理想の夫婦像
この記事をかくにあたって,ふと【理想の夫婦関係】なんて検索してみた。
1番上にヒットしたものを以下引用する。女性に聞いた!ということは,男性には男性なりの理想の夫婦像があるのかもしれない。
・尊重し合っている
・コミュニケーションが活発
・自然体でいられる
・思いやりがある
・仲が良い
・程よい距離感
・自立している
理想の夫婦像とは【女性100人に聞いた】理想の夫婦になるために意識したいことなど紹介
これをもとに自分の夫婦が【理想の夫婦】なのかを検証してみると同時に,ぼくの奥さんの良いところもかいていきたい。
ここから先は,すべて主観です。【奥さんはどう思っているか】は棚の上にあげさせてもらいます。
尊重し合っている
ここでいう【尊重】とは,どうやら対等な関係だったり,互いを補い合う補完関係のことだったりするようだ。
「敬う」や「認める」ことも含めて考えると分かりやすい。
自分の価値観,奥さんの価値観,その2つが重なるところやうまく融合しているところが夫婦の価値観だと考えると分かりやすい。
自分の価値観と奥さんの価値観はちがう。そこを認められるかどうか。
たまに認められないこともあるようだ。たとえば,映画を1300円~2000円近く払って映画館に観に行くくらいなら,子どもの服を買いたいと先ほど言われた。うむ。それでも,映画館に行くことを止められないし,観に行ったからといって不機嫌になるわけでもないので,認めてくれている,尊重してくれているということになる。
ぼくからしても,昨日言ってしまったのが,「靴下がたくさんある」ということだ。認めていないわけでもないし,尊重していないわけでもないが,否定されていると思わせてしまったかもしれない。
それと,奥さんはよく映画にしても海外ドラマにしても,ぼくが見たいものを一緒に観てくれる。奥さんが観たい日本のドラマをあまり見ない。この面においては,奥さんを尊重できていないのはぼくだと言える。反省である。
そういった日常にあることもたいせつだが,お金の価値観も大切だと感じる。
【何にお金を使うか】ということは,人生観そのものが現れる場合がある。同様に【何に時間を費やすか】ということも。
ぼくは最近,たくさん本を買う。それはしっかり認めてくれている。むしろ「買った本をちゃんと最後まで読んで偉い!」とほめてくれる。
ぼくも同じように奥さんがお金を使うところを尊重しているつもりだが,どう感じているかは分からない。
ここまで書いてきて思った。奥さんはぼくを尊重してくれているし,ぼくの奥さんほどではないかもしれないが,尊重しているつもりではある。
点数にすると,90点以上はあるのではないだろうか。
コミュニケーションが活発
これも時期やタイミング,日によったりすることだろう。
毎日,同じ時間や量,話をするかと言われたら,そうではない。
相談すべきところは相談できて,それに対してしっかり聞いて応えられているかということであれば,難しい。100点ではないと感じる。
日常会話で,言われたことをちゃんと聞けていなくてうんざりされることは多々あるが,重要なこと,相談事であれば,ちゃんと聞いているつもりだ。
ただ,たまに,おそらく相手が想定していないような熱量で返してしまい後悔することはある。軽い気持ちで相談されたことを,ガチで考えてガチで応えてしまうだとか。その反対に,もっと深刻に考えるべきところを,大して考えもせずに応えるとか。
相手が求めている言葉を言えなくとも,相手が求めている熱量で応えるのはたいせつだと頭では分かっているつもりではあるが,言いたいことを言いたいように(相手の気持ちを考えず)言ってしまうことがある。そこで温度差を生んでしまい,不機嫌にさせてしまう。
もちろん,逆も然り。自分がそんなつもりで言ったわけではないのに,想定した雰囲気の会話が成り立たないときがある。もっと和気あいあいと話したかったことなのに,ちょっといらいらさせてしまったり。
そのいらいらさせる原因は,会話の言葉にあるわけではなく,その会話より前の自分の行いが悪い場合がある。そこでズレが生じてしまうこともあるのだ。
夫婦関係に限ったことではないと思うが,毎日顔を合わせる夫婦という関係においては,問題が起きやすい。それは,相手と尊重し合うということにもつながってくる。
点数にすると,90点以上はあるのではないだろうか。
自然体でいられる
これも【自然体】ってなんだ?というところから考えたほうがいい。
好き勝手にやることが自由ではないという大前提で踏まえると,【人の迷惑にならない】や【自分も自由でいたいなら,他人の自由も認めるべきだ】という考えが根底にあるものとして【自然体】を定義しておく。
自分も奥さんも自然体ではあると思う。【無言でも成り立つ】のかと考えると,どうだろう。ちょっと相手を不機嫌にさせてしまったなと感じた時,良い意味で無言のやり取りでなんとなく解決することがあると思う。それが良いのか悪いのか。問題に向き合わず,解決していないからよくないかもしれないが,お互いに何となく自分のよくない部分に目を向けて,少しの時間で無言の解決をする。
これを自然体と呼ぶのか少し疑問だが,言葉の外で仲直りすることもわりと多い気がする。「でも,それって相手を我慢させてるだけじゃない!?そういうのが溜まって奥さんが爆発するよ!」
その通り。人間関係が良好なのは,どちらか,もしくは双方が我慢しているから。
我慢するに値する相手なのかということのほうが目を向けるべきだとも思う。もちろん,我慢できる範囲は,内容によっても,普段の相手の行いによっても変動するものではあるが。
【遠慮なく意見を言い合えるか】ということでは,ある程度は言えると思う。遠慮なくというのは,厳しく言えるかということではなく,伝えるべきところを伝えられるかということ。
上司がこわくて言いたいことを言えないのは,遠慮なく意見を言えないということになる。
奥さんがこわくて言えないなんてことはないし,奥さんもそうだろう。伝え方や言い方に配慮が必要なのは言うまでもないだろう。
点数にすると100点近いのではないだろうか。
思いやりがある
これは,あると思う。
【思いやり】とは,つまるところ【相手の気持ちを考えて接する】【相手の立場になって考える】と言ったことだろう。
基本的に,ぼくは人の気持ちが分からない人間だ。小学生の時は本当に他人と比べても,全く人の気持ちが分からずに,傷つけてしまったことがたくさんある。
今も人の気持ちが分からない。全く分からない。【自分は人の気持ちが分からない人間なんだ】と気づくことができた日から,だったら【人の気持ちを考えればいい】と思うようになった。分からないから考える。だから,【きっと相手はこんな気持ちなんだろうな】と想像して(時には決めつけて)接する術を身につけた。
【相手の立場になって考えること】も苦手なことのひとつだ。おそらく自分はそうした相手意識のような力が欠落している。
自分が思いたいように思ってしまうこともある。そう自認しているからこそ,気を付けようとも思っているわけだが,そうした前提での思いやりはあると思う。
相手のその時の気持ちを100%正確に認識することはできない。「おそらくこうだろうな」と思って接するはずだ。その意味においては考えているつもりだ。たまに,気づけないこともあるが。
奥さんもそう。よく考えてくれている。ぼくがどういった言葉をもらえると喜ぶのか。ぼくが欲しい言葉をくれることも多い。よくぼくのことを考えて思いやりをもって接してくれている。
これも100点近いのではないか。
仲が良い
これは,他の要素と絡み合って成り立つものである。仲の良さは原因ではなく結果だと思うのであまりかくことはない。
ただ,夫婦の時間を大切にしているか,確保しているかということであれば,適度に確保している。程よいところを保っていると思う。
たまに映画もいくし,食事にもいく。夜な夜な海外ドラマを見たり,映画を見たりもする。読んだ本の良いところを伝えたりもする。
もともと職場で知り合ったこともあって,仕事観も分かってもらっている。プライベートとパブリックの両面の自分を知ってもらっていることも大きい。
これも90点以上はあるだろう。
程よい距離感
程よい距離感というのも,その「程よさ」は夫婦によって違う。夫婦間でも変わってくる。ぼくの場合はどうだろう。
奥さんは,ママ友と遊ぶことが多い。予定はいつもいっぱいだ。これがおそらく逆良いのだろう。お互いが自分の時間を過ごすのに適しているのだろう。
距離感とは,会う時間,分量,濃淡によって決まる。同じ空間にいても,ちがうことをしているか,同じことをしているかでは,全くちがう。
自分が心地よいと思える距離感が,相手も心地よいとは限らないのが,人間関係の難しいところ。
まずはなんとなく相手が心地よいと感じるであろう距離感を知ることが大事かもしれない。自分がその距離感に合わせることがあってもいいし,時には合わせてもらうことがあってもいい。
そうやって,距離をはかり,適切なところに落ち着くのだ。
加えて,その心地よい距離感は,自分の心や感情に大きく左右される。
仕事でつらいことがあった時には,普段よりその距離を近くにしてほしいと思うこともあるだろう。(心の距離という意味)
お互いの趣味の範囲においても,尊重し合うこととつながる。相手も趣味に合わせようと近づきすぎることが必ずしも良いことではない。
かといって,完璧な距離を常に保てるわけでもない。距離が動く時というのは,自分が動く時,相手が動く時,自分も相手も同時に動く時があるのだから。
常に一定というわけでもない。意識的に近づくこともあれば,無意識に近づいたり遠ざかったりすることもある。
ぼくと奥さんはどうだろう。ある程度,あらゆる時に適切だと思う。
自立している
どうだろう。夫婦関係における【自立】ってなんだろう。
【どちらかが丸1日いなくても家庭がまわる】ということであれば,それはなんとかできるだろう。どちらもがすべての家事や育児をできていれば可能だからだ。
この育休中に,ぼくはすべての家事と育児が下手なりにもできるようになった。もちろん,奥さんほどできないししていないが,できるほうができることをやるスタイル,明確な役割分担を決めない【家事シェア】をしている。
その意味では,自立した夫婦関係といってもいいと思う。
ただ,気になるのは,夫婦関係はある程度,依存関係であってもいいのではないかと思う。【共依存】とは違う。
お互いが頼り合うという意味での依存関係は,夫婦である以上必要だと思う。子どもは,親を社会的な第一見本とする。親が協力し合っているところを見せるのはとても大事なことだ。
1人でなんでもできる親もかっこいいし,十分なお手本にはなるが,人との関わりを夫婦関係を見て育つこともある。自分と親の親子関係や親同士の夫婦関係を見て,社会との世界との他者との関わりの参考にする。
良い意味で自立することはたいせつであるが,それも適度がいいのだろう。
自立しているかということも90点くらいはあるはずだ。奥さんはぼくがいなくても家庭をずっとまわせるが,たぶん奥さんがいないとぼくは数日でしんどくなるからだ。
まとめ~奥さんの良いところ
自分の夫婦関係を,【理想の夫婦像】と照らし合わせて考えてみた。かなり良いほうだと思っているが,こうして考えると,圧倒的に自分が足りていないことが分かった。
書きながら,奥さんの良いところをたくさんかいているなと思った。
自分を尊重してくれるところ。自然体でいさせてくれるところ。思いやりがあるところなど。
ぼくの友だちを大事にしてくれるところもそう。何より子どもに対してすごく勉強になる。自分も真似しなくてはいけないところがたくさんある。
奥さんは,子どもを第一に生きている。それが何よりの良いところだろう。
ただ,現在,夫婦で育休中の期間が9か月経過しようとしている。仲が良くないとなかなかできないと考えると,良い夫婦といえるのだろう。
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