仕事のことを思うからこそ,より充実した育休になる。
育休取得を悩んでいる人へ。自分なりの仕事と育休について書いてみたいと思う。少しでも参考になれば。
育休に入って半年以上が過ぎた。これまでを振り返ると,それなりに自分なりに過ごしてきた。今のところ,本当に育休を取得してよかったと思っているし,まだまだこの育休を充実させたいと思っている。
最近,職場とのやりとりが少し増えたこともあるが,育休中だからといって,仕事のことを全く考えないかといえば,そうではない。逆にいうと仕事のことを思うからこそ,育休を充実したものに…とも思えるのだ。
やりたくて仕方がなかった仕事
今年度,つまり1年間丸々育休を取得した。当たり前だが,「仕事が嫌だから」という理由で育休を取得したわけではない。
育休を取得する話をすると,たまに言われる。「仕事大変だもんねー,育休で思う存分休めばいいよ!」みたいなことを。
何もわかっていない。まるで仕事を休みたいから育休をとったと思われるのか。心外。甚だしい。ただ,そういう人は一定数いる。
もちろん,仕事は責任がある重いものだ。つらいこともあるし,嫌なこともある,しんどいときも休みたいと思う時もあるだろう。ただ,だからこそ,一生懸命やった先には充実感もあるし,やりがいに満ち溢れている。
特に今年度は,自分にとってやりがいのある1年になりそうだった。だから,仕事はしたかった。でも,一生に一度しか機会がないかもしれない育休を選択したのだ。
ただ,仕事が大変でやめたいと思っている中で,育休という機会が良いタイミングで訪れたのなら,「仕事休みたいから育休をとって家事育児を生活の中心にする」という考え方は否定しない。
タイミングや縁というものがある。必要なときに必要なことがやってきてくれるものだから。
時間や環境が悩みを終わらせる
育休に入る直前までは「本当にこれでよかったのだろうか。」「今からでもやっぱり働きたいというべきか」などと5分おきくらいに,考え方が変わるほど,毎日ため息をついていた。
育休に入って1週間くらいは,「仕事したい」「働きたい」と思っていたが,もう後戻りはできないし,撤回するわけにもいかない。状況が変われば,考え方も変わる。
「育休に入ったのだから,育休を素晴らしいものにするために何ができるか」と考えて過ごすのが自然であり,最善だと分かったのか,悩むことはなくなった。
時間が解決してくれることもあれば,状況や環境が解決してくれることもある。
いや,厳密にいうと【解決】ではなく,【決着】というべきか。問答無用で終わらせてくれることもある。
やっていることはちがっても
誰もがそうであるように,ぼくも毎年,年のはじめの1月1日とか,年度初めの4月1日とかに,「今年も良い年にしよう」と思ってスタートする。
今年度もそうだった。昨年度もそうだった。ずっとそうだ。
毎年,良い年になればいい。1日単位で見ていくと,良い日もあれば悪い日もある。トータルで見た時に,「いろいろあったけれど,良い1年だったな」と思えればいい。
「良い1年にしよう」と,そう決めたら,そうなるように生きていけばいいだけだ。
仕事をしていても,育休中だろうと,「良い1年にしよう」と決めたら,そうなるように生きるしかない。そうなるかどうかは,自分次第だ。
そういう意味では,今年度も昨年度も何も変わらない。違う毎日でも,向かう姿勢や過ごす自分の思いは何一つ変わらない。
良い育休になるかどうかは,自分次第だ。
後悔しない!無駄にしない!
後悔しない日々を送りたい。
無駄にしない日々を送りたい。
「育休なんて取るんじゃなかった」なんて思う育休にしない。
そうならないために,日々どんなことをするかという視点も大事だと思う。
自分の中でこれはやろうと決めること,育休を無駄なく過ごすための最低限のことを決めることが大事だと思う。
①家事や育児を当たり前のようにできるようになること。
②奥さんを自由にしてあげること
③子どもとたくさん関わること
④育児につながる本を読むこと
⑤自分のやりたいこともしっかりやること
⑥後回しにしていたことを必ずやること
ざっくりいうと以上のような感じか。
「ただいま」を言える場所
育休が仕事にとってマイナスだと否応なく刷り込まれているが,そうではないと思う。
上記の記事を参考にしてほしいが,育休を取得したからこそ,仕事にとってプラスになることがたくさんあると思う。
職種によっても変わってくるかもしれないが,こじつけでも何でもいいから自分で見つけることが大事。
「育休を仕事にとってもプラスにするんだ」「育休で人間的に成長して仕事に生かすんだ」
ある意味,家にずっといると,帰る場所が家でなくなる。毎日帰宅するという意味ではなく。
仕事をしていると,日常的に居る場所は職場で,帰る場所が家になる。
毎日家にいると,家は居る場所になる。毎日,居る場所も帰る場所も家になる。
大学で上京し一人暮らしをしていた時,帰るべき地元があり望郷の思いがあったが,地元に帰ると,地元への望郷の気持ちはなくなることに似ている。
もちろん,職場に帰って寝泊りするわけでもないが,職場が少しそんな場所にも思えてくる。
帰るべき場所があるからこそ,堂々と今居るこの場所で生きていけるのかもしれない。
そういう意味において,職場は自分の社会的な立場を守ってくれていることにもなる。それはしがらみであると同時に,盾でもある。行動を制御してくれるものでもある。
どちらにせよ,ありがたいものだ。
仕事と離れられる限界の距離が今
ぼく自身,育休に入り半年以上が過ぎた。自分のやりたいこと,やらなければならないことも順調にやれている。
それは,奥さんのおかげでもあるし,子どものおかげでもある。近くに住む親のおかげでもあるし,兄の家族のおかげでもある。職場の人も連絡をくれるし遊びにきてくれることもある。
なんにせよ,切り離せないものがたくさんある。
自分から切り離せないものは,自分を自分にしてくれているものともいえる。
家族はもちろん,友人や思い出,もっているモノまでも,自分を形作るものは,自分の一部といってもいい。
その1つが仕事だ。逃れられないともいえる。ただ,今は,離れられるギリギリの距離まで離れていられるということだ。
解放ではあるけれど,完全に独立したわけではない。
だから,思う。「仕事まだまだしたくないな」「仕事はやく復帰したいな」「復帰したいけど,また育休とれたら取りたいな」
どう思おうと,「今」を大切にする。一生懸命過ごす。できることは全部やる。
それも仕事をしていようが,育休中だろうが,変わらない。
仕事と自分。どうつながっていて,どんな距離感なのか。
仕事を思うからこそ,充実した育休になる。
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