時がくれば変わるもの。時がきても変わらないもの。ほぼ一定の間隔で年号は変わる。だったら自分も変わろうか。庵野秀明が好きなので「シン・ジブン」でもいいかな。
2024年になった。本年もよろしくお願いしますということで,3月までは月に10記事程度のペースで更新していくと高らかに宣言しておく。
何かが劇的に変わったわけではないのに,ただ2023が2024になっただけで,ウサギが龍になっただけで,新しい自分になった気がする。学年も職場も家も環境も変わったわけではないのにね。何かのきっかけで人は大きく変わることができる。それが小さなきっかけだとしても。
というわけで,自分の心の変化についてかいていきたい。
1年間育休を取得したぼくの9か月を終えた感想。残り3か月弱となった今の気持ち。
二度と同じ気持ちにはなれない
過去,このブログ内で何度か「仕事をしたかったが,悩みに悩んだ挙句,育休を1年間取得する道を選んだ」ということを書いた。
2022年10月ごろから育休を取得することを悩み始めて,現在に至るまで自分ほど「育休」や「仕事」に対して深く長く考えた人はいないだろう(いやきっといる)。
時間が経つと気持ちは変わるし,心も動く。この1年間で仕事に対する思いは大きく変わった。変わったというのは,まるで別のものになったという意味ではなく,少しずつかたちを変えたということだ。スライムのようにぐにゃっと変わるようなイメージ。ねんどのようにちぎれたり,くっついたりする感じ。一度つくった形を変化させると,元に戻そうとしても,二度と同じ形には戻せないような感じ。似せて作ることはできても全く同じにならない感じ。あれに似ている。
二度と同じ気持ちにはなれない。似たような気持ちにはなれたとしても。
今の気持ちは,育休取得直後に少し似てきた。
2023年内はまだまだ,育休が終わることに後ろ向きな気持ちをもっていた。ものすごく贅沢な話だが,「ああ,あと3か月しかないのか…。」と。
ただ,2024年になったとたん「仕事がんばろ!」となぜか思うことができた。不思議だ。ただ単に,新年を迎えただけなのに。
「まだまだ休みたい」という思いもあるだろうが,今は仕事復帰したらがんばろうと思えている。
その理由を考えてみると,一番納得できるのは「がんばったから」だと思う。
がんばった実感が前を向かせてくれる
なんだか2023年の12月31日に書くような内容の記事になってしまっているが,この9か月の育休でやれることはかなりやったという手ごたえがある。結果が出てないこともあるけれど,結果を出すためにやっているわけでもない。その一見無駄のようなプロセスに満足しているから,前を向くことができるのだ。
やれることをやっていないと,自己嫌悪に陥ることがある。プライベートでも仕事でも。
反対に,やれることをやっていると自己肯定感が高まる。なんと表現してもいい。自己愛が増幅するでもいいし,自己満足でもいいし,自己陶酔でもいい。とにかく,「自分はよくやった」と思えると,向く方向が過去ではなく今になる。ふと立ち止まったときに,「あの時ああしていれば」と負の感情になってしまえば,後悔に苛まれ,プラスの感情で未来を見ることができなくなってしまう。
ここでたいせつなのは,あくまでも「自分」がどうかということ。
たいせつなのは自分
他人の評価は全く関係ない。他人からみて,「おまえ変わってないよね」「あんた成長しないね」と思われるかもしれない。それは勝手に思わせておけばいい。もしよかったら,「そういうふうにしか人を見れないんだね」とか「見えている部分だけで人を判断するんだね」とバカにしてみよう。
それすらもしょうもないことだなときっと思えるはずだ。他人にどう思われようが関係ない。
他人からの見え方はものすごく気にはなるけど,気になるからこそ,あえて気にしていないふりをしないと,無意識に他人の評価を気にしてしまうから。
自分なりに新しい自分になったなと思えればいい。そう思える基準は,自分の気持ちに変化があったかどうか。ものすごく内向的に。
自分にしかなれない
当たり前のことだが,自分という人間は自分にしかなれない。
自分のことが嫌いなのは嫌いでもいいが,損得で考えてみればいいと思う。自分を嫌うことで成長でき,よりよい成長につながるというのなら,自己否定という言葉をプラスにとらえた形になっていいと思う。
「自己否定」という言葉の中には,【自分を否定して新しい自分を手に入れること】までが含まれているから。
自分が嫌だから,自分であることを放棄して自分を嫌って憎んで,何も成長しない。人生そのものが悪い方向にいくというなら,やめたほうがいいと思う。明らかに損だからだ。
自分の人生を肯定しようもないほど,壮絶でつらい経験をしてきた人もいるだろうから,偉そうには言えない。ただ大事なのは,自分を受け入れるしかないということ。受け入れた上で,どう生きるか。
自分は自分にしかなれないのだから。
セルフ○○しよう!
あまり意味は分かっていないが,かっこいい言葉がある。それをつかおう。
セルフマネジメント,セルフプロデュース,セルフディレクション
セルフマネジメント
セルフマネジメントとは、直訳すると「自己管理」のことです。目標の達成や自己実現のために、自身の思考や感情・行動を管理すること、もしくはそのためのスキルを指します。
セルフマネジメントとは?自己管理能力を高める方法やメリットも紹介
自らを管理することによって、自分自身の精神状態や健康状態を安定させ、自分の能力を最大限に発揮することを目的としています。
「自己管理」の中に,思考や感情のコントロールも含まれるとは驚きだ。精神や健康を安定させることが,自己実現に不可欠であると。やはり,自己否定はすればいいが,自分を嫌っている暇などないということが分かる。
自分の能力を最大限発揮するためには,自分の能力を知っておく必要もある。やはり,自分を受け入れておかなければ知りようもない。自分の能力を高く見積もりがちな人が多い。あえて低めに見積もることも必要だろう。
セルフプロデュース
セルフプロデュースとは、「自己演出」や「セルフブランディング」とも呼ばれ、自分が持っている個性や強みを分析し、それらを戦略的にアピールしていくことです。
例えば、「仕事ができるスマートな人になりたい」「明るく周囲から愛される人になりたい」といった「なりたい自分」を具体的にイメージします。それに対して、足りない部分や活かせる能力を分析し、理想の自分へ近づけるように努力します。
セルフプロデュースとは?なりたい自分になるための近道
「セルフプロデュース」と検索すると上記のような転職サイトがたくさん表示される。内容はどれも似たようなもので,要するに「なりたい自分」をイメージして,それに近づくように努力するということ。
自分と理想の姿を重ね合わせそのギャップをうめていくようだ。
年齢を重ねてくると,おそらく「なりたい自分」を思い描く時,ある程度「なれそうな自分」を思い描くだろう。35歳の人が「プロ野球選手になりたい!」なんて描けない。
この「なりたい自分」は抽象的な自分でいいと思う。「やさしい自分」とか「かっこいいパパ」とか。そこから「やさしい」とはどんな人間かを考えて,それに近づく努力をすればいい。「かっこいいパパ」ってどんなパパ?子どもと関わるとか,仕事も家事も一生懸命するとか。具体はあとからついてくればいいのではないかと思う。
ぼくもそうした。
セルフディレクション
「セルフディレクション」
この言葉は検索してもらえると分かるが,明確な定義づけがない。ビジネスというよりも,福祉系のサイトで多く出てくる。
なので,自分なりに定義づけしてみたい。
辞書によると❝方角、方向、指示、指揮、命令❞といった文言が出てくるので,これを自分に対してということで使いたい。
また,一般的にプロデューサーとディレクターの関係だと,プロデューサーのほうが全体管理のイメージもあるので,より細かい部分で方向を示し,ひとつひとつの手順に従って自分を形作るということにしたいと思う。
セルフプロデュースが「なりたい自分」をイメージするところから始まるなら,セルフディレクションは,そのためにどんな道を歩むべきか具体の部分での指揮ということになるだろう。
自分を楽しむ
自分という人間を,どういった生き物にしてやろうか。
自分という人間を,どう成長させてやろうか。
そう考えると,楽しみながら自分と関われるのではないだろうか。
自分という人間が成長すると,きっとこんなにも楽しいことがあるぞ。
自分という人間が進化すると,今までできなかったことができるようになるかもしれないぞ。
ぼくは,あまりゲームをしない人間だ。RPGのようなゲームで,敵を倒したり,ミッションをクリアしたり,アイテムをゲットしたりして,レベル上げをして,各ステージをクリアしていくように,【自分】という人生を楽しめば,ゲームをしなくても楽しいと勝手に思っている。
何か困難なことがあれば,【イベント発生!】と思ったり,超えるべき壁に直面した時,レイドボスを一緒に倒すつもりで家族や同僚と協力したり。
新年になったので,新しい自分を楽しみたいと思う。
育休という人生初の経験が終わる年でもある。楽しまなければ損というものだ。
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