勇気と賢さを!大人にこそ読んでほしい児童文学『飛ぶ教室』/ケストナー作【童心を取り戻す!ワクワクが止まらない!】

育休中に読んだ本
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 【児童文学】という言葉を聞いて,どんなことを思い描くだろう。あまり馴染のない言い方かもしれない。【文学】という言葉自体が,小難しそうに聞こえるし,堅い感じもする。その言葉に【児童】がつくと,【子ども向け】という印象がくっつく。簡単なのか難しいのかよくわからない。なんだか賢そうな子どもが読むものか?だったら,自分には縁がなさそうだ。

というような感じを受ける。そもそも最近まで【児童文学】という言葉すら知らなかったが。

そこで【児童文学】を調べてみると…宮崎駿監督の言葉がいちばん自分の中にすとんと落ちて,ものすごく魅力的なものに変わった。

 僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入ったので、基本的に子供たちに「この世は生きるに値するんだ」ということを伝えるのが自分たちの仕事の根幹になければいけないと思ってきた。それはいまも変わらない。

宮崎駿監督「この世は生きるに値する」 引退会見の全文

宮崎駿監督が,2013年に公開された映画『風立ちぬ』の後,引退宣言をした際の会見での言葉である。(案の定,引退しなかったが。)

育休ぼく
育休ぼく

児童文学とは,子どもたちに「生きていてよかった」と希望を与えるものなんだ!!

ということで,児童文学と呼ばれるものをいくつか読んでみた。今も読み進めている。読んだものを紹介していきたい。

 大人だからこそ,読んでほしい。昔は,みんな子どもだった。子どもだったことがある人なら,絶対に読んでよかったと思えるはずだ。


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『飛ぶ教室』の概要

『飛ぶ教室』

 岩波書店 岩波少年文庫 (2006/10/17) 

※原著は1933年に発表

著者:エーリヒ ケストナー 訳:池田香代子

1899‐1974。ドイツの詩人・作家。ドレースデンに生まれる。貧しい生活のなかから師範学校に進む。第一次大戦で召集される。大学卒業後、新聞社に勤める。1928年『エーミールと探偵たち』で成功をおさめたが、やがてナチスにより圧迫を受ける。1960年、国際アンデルセン大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)(「BOOK著者紹介情報」より)

 出版された年が,今から90年前の1933年であること。第一次大戦で出兵していること。ナチスによる迫害を受けていたことなどを踏まえると,現代を生きるぼくたちには想像もつかないような時代・状況・環境の中で作品を作っていたのだろう。

その環境は,作品の中にも随所に表れているような気がする。作中の台詞や言葉を用いて紹介していきたい。

『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』/宮崎駿著では以下のように紹介されている。

子供の時,ぼくはこの本にとても感動しました。キラキラした夢のような世界でした。この本の少年達や大人達のように,勇気や誇りや公正さを持てたら,どんなに素晴らしいかと。

残念ながら,ぼくは勇気を発揮するチャンスを何度も逃し,傷つきやすく臆病な少年時代を過ごしていました。

読みなおして,勇気や誇りを持つことに,自分がどれだけあこがれていたのかを思い出します。ぼくには少年時代も大人の時代もやり直すことはできません。でも…と思います。ちゃんとした老人になら,まだチャンスはあるかもしれないって…。

『本へのとびらー岩波少年文庫を語る』 飛ぶ教室 エーリヒ ケストナー
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なにを悲しむかではなく,どれくらい深く悲しむか。

人生,なにを悲しむかではなく,どれくらい深く悲しむかが重要なのだ。

誓ってもいいが,子どもの涙はおとなの涙よりちいさいなんてことはない。おとなの涙より重いことだっていくらでもある。

『飛ぶ教室』 エーリヒ ケストナー

 子どもの頃につらかった出来事を大人になった今,思い出してみると,なんであんなことで泣いていたんだろう,と思うことがよくある。今,同じようなことが起きても大してつらくもないな,と思うことがある。

 子どもが泣いるところを大人が見て,「それくらいでなぜ泣くんだ」「もっとつらいことが大人になったら,あるよ」なんて言うこともある。

 でも,起きた本人にしかわからないつらさがある。大人はすぐに決めつける。子どもはよく寄り添って「大丈夫?」なんて声をかける。大人は決まって「大したことないのに泣くな」などという態度をとる。

 それは大人の視点が,「なにを悲しむか」だからだろう。でも,ケストナーは本著でそうではないと否定してくれる。どれだけ深く悲しむことができるかで,きっとその悲しみから得られるものの大きさが変わるのだろう。

 大人はたくさんのことを経験している。子どもにはあまり経験というものがない。だからこそ,大人からすると,小さい出来事でも子どもからすると,人生を変えてしまうほどに大きな出来事に感じられるのだ。それを,馬鹿にしてはいけない。

 悲しみに対して,軽んじることができるのは大人のほうだ。深く悲しみ,そこから学ぶことができるのは,とても素晴らしいことだと教えてくれる。

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正直であれ!

正直であることがどんなにつらくても,正直であるべきだ,と思うのだ。骨の髄まで正直であるべきだ,と。

『飛ぶ教室』 エーリヒ ケストナー

 正直であることがどれだけ難しいか,大人であればあるほど感じてしまうのではないか。むやみに泣けばいいというわけでもない,と語られながらも,とにかく正直でいてほしいというメッセージが強く記されている。

 現代においては,むしろ「正直さ」をどれだけ押しころせるか,それが大人のような気がする。言いたいことを我慢して,言うことを忠実に聞くことこそ,組織を形成する人間として優秀とされる…。

 そんな世の中を危惧して,書かれた言葉のような気がする。それも1933年に。

 子どもは正直だ。いつも。いつでも。どこでも。言いたいことを言う。やりたいことをやる。やれなかったら,駄々をこねる。泣く。叫ぶ。いつからだろう。人に合わせること,空気を読むこと,我慢することこそ,成長の証として認められるようになったのは。

 だからこそ,ケストナーは,【どんなにつらくても】と加えているのだと思う。どんなにつらくても正直であるべきだと。

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くじけない心をもて!

ただ,ごまかさないでほしい。そして,ごまかされないでほしい。不運はしっかり目をひらいて見つめることを,学んでほしい。うまくいかないことがあっても,おたおたしないでほしい。しくじっても,しゅんとならないでほしい。へこたれないでくれ!くじけない心をもってくれ!

『飛ぶ教室』 エーリヒ ケストナー

 ガードをかたく。パンチはもちこたえるもの。

 パンチをすべて避けきるのは無理なんだ。いつか必ず当たってしまう。それくらい人生は,困難もあれば苦難もある。挫折もする。つらいこと,しんどいこと,逃げてしまいたいことなんていくらでもある。

ものすごい一撃をもらうこともある。心構えをしておかないと,耐えられないかもしれない。だから,ガードをかたく。パンチは逃げるものではない。もちこたえるもの。

 だから,へこたれるな。くじけない心をもて!

 ケストナーは,生きることはつらいことがたくさんあるけれど,負けない心をもてと教えてくれる。

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勇気とかしこさ

かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし,勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ!

『飛ぶ教室』 エーリヒ ケストナー

 くじけない心だけもっていればいいわけではない!この2つが必要なんだといっている。勇気とかしこさ。

 これはおそらくケストナーの置かれた状況,時代背景が大きく影響していると思われる。勇気ある人がかしこく,かしこい人が勇気をもっていなければならない。歴史的に,かしこくない人が勇気をもち,勇気をもってはいるけれどかしこさを持たない,正しくないことが起きていたと語っている。

 持ちうる力を正しく使う。もちうる知識を正しく使う。それは,一個人でも同じこと。年を取ればとるほど,もっている力は大きくなる。学校でも,職場でもそう。正しく使えていない人がたくさんいる。ただ肩書があるからえらいのか。年上だから何をしても許されるのか。そうではないはずだ。

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見ている景色,立つ舞台

ぼくらは,約束を破るようなやつらとは,これからぜったい戦わない。軽蔑するだけだ。

『飛ぶ教室』 エーリヒ ケストナー

 先ほどの引用❝勇気とかしこさ❞につながることだと思うが,勇気とかしこさ,くじけない心をもって戦った主人公たち。それに対して,卑怯なことを散々した相手。この言葉がすべて物語っている。

 見ている景色がちがう。立っているステージもちがう。だから,真向から戦わない。軽蔑し,さらなる❝勇気とかしこさ❞をもって別の方法で相手を倒す。

このあたりの,主人公たちがかっこよすぎる。ぜひ読んでいただきたい。

宮崎駿の紹介文にもあった❝この本の少年達や大人達のように,勇気や誇りや公正さを持てたら,どんなに素晴らしいかと。❞というのが,このあたりの流れからはっきりとわかるようになってくる。

本当に彼らのように,勇気とかしこさ,くじけない心,仲間を思う気持ちがあれば,どんなにすばらしいか。こんな少年達になりたかった。

宮崎駿の言葉を借りるなら,ぼくもちゃんとした親になら,まだ間に合うかな,といったところか。

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責任とか権利とか義務とか

そういう権利はやたらと使うものではないよ。

『飛ぶ教室』 エーリヒ ケストナー

 主人公たちが尊敬する先生の言葉。何気ない言葉のようにも思えるが,すごく素敵な言葉だと思った。権利。子どもも大人も,よく使う言葉のような気がする。そして,責任や義務を果たしていない人ほど,この権利を行使したがるような気もする。

 と勝手に思ったので,この言葉がすごく気に入った。たしかに,使えるものだからといって,やたらに使うものでもない。いつでも使えるものだからこそ,使うときは見極めたい。権利だろうと,言葉だろうと,道具だろうと。

教師ってのものにはな,変化する能力を維持するすごく重い義務と責任があるんだ。

(中略)

ぼくらを成長させたいんなら,自分も成長しないではいられない教師が必要なんだよ。

『飛ぶ教室』 エーリヒ ケストナー

日本全国の先生たちに伝えたい言葉。そうだ。子どもを成長させたいのなら,子どもと関わる機会の多い身近にいる親や先生などの大人が成長しなければならない。常に。日々。

 成長しなければならないし,変化する能力を維持する義務と責任がある。ちょっと回りくどい言い方ではあるけれど,変化に対応するとか,時代の流れについていくとか,子どもの変化に敏感であるとかそんな感じで読み替えてもいいのだろうか。

 訳者の力もあるのだろうが,「成長しないではいられない」という言い方がまた自発性というか自主性のある大人を表現していてとても良い。

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本当にたいせつなこと

ぼくが願っているのは,なにがたいせつかということに思いをめぐらす時間をもつ人間が,もっとふえるといいということだ。

『飛ぶ教室』 エーリヒ ケストナー

「たいせつなことってなんだろう」と考えたことのある人のほうが少ないと思う。いつの時代も,いや,特にケストナーが生きた時代は,「考えをめぐらせる」なんてできない世の中だったのかもしれない。

ケストナー自身もナチスからの圧迫を受けていたということであるし,焚書にもあったようだ。こんな貴重で素晴らしい作家の小説が世の中から消えるなんて,どうかしている。

そんな時代を生きたからこそ,思考を停止させられる世の中が苦しかったのだと思う。現代もまた違った意味で,思考が停止している人間がたくさんいる。せわしなさ,忙しさ,窮屈さ,ものが溢れかえった現代では,考えなくても生きていけるし,むしろ考えない方が楽に生きていける。

いつの時代にもいえるのだろう。問うべきだ。「なにがたいせつか」って。

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子どものころのこと

いちばんたいせつなことを忘れないでほしい。過ぎ去ってほしくないいまこのとき,きみたちにお願いする。子どものころのことを忘れないでほしい。

『飛ぶ教室』 エーリヒ ケストナー

子どものときの自分を,覚えている人はどれだけいるだろうか。ぼくは本当に,人の気持ちが分からない,ひどい人間だった。勉強も大してせず,成績は下のほうだった。スポーツは得意だったが,よくクラスに2,3人くらいいるほどの凡庸な運動好きといった感じで,大した努力もしてこなかった。そんな子どもだった。

だからこそ,こんな自分ではいけないと思った。いや,あの頃なりに精いっぱい生きていたような気もする。あの頃の,子どものころの自分を否定したくはない。子どもの頃の自分がいるから自分がいる。

ひどい人間だからひどい目にも遭った。ただ,責めたくはない。勇気をもてなかったこと,逃げてしまったこと,後悔すること,たくさんあるのに。

もちろん,反省はした。繰り返さないと決めた。だから忘れないでいたい。この物語も。

ぼくは忘れない。

泣いたけど泣かなかったマルティンを。

立場や力に屈しないマティアスを。

勇気と賢さをもったゼバスティアーンを。

自分を克服したウーリを。

強くやさしく生きるジョニーを。

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