【目標達成】100記事目に思うこと【自己満足】

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育休を取得して322日が経った。残り43日ほどということになる。早く感じたのか遅く感じたのか,長く感じたのか短く感じたのか,そういったことはそのうち書くとして,今回はタイトルの通り100記事目に到達して思うことをつらつらと。

育休中に最もたいせつなことは言うまでも無く,家事と育児だ。これは最優先であり大前提なので今回の記事ではこれ以後触れない。育休ライフの中で最も時間を費やしたのも家事と育児に決まっているからだ。それ以外の時間で何を思い,どう過ごしていたかがこの記事のあらましである。

この育休ブログを始めたのは7月上旬だった。今2月中旬ということは7か月ほど(つまり220日くらい)で100記事を書いたことになる。2日に1記事と考えれば自分としてはなかなかのハイペースである。書いた内容も重複する記事が多少はあるが,文字数でいうとどんなに少なくても2500文字で,長いものは8000文字を超えている。おそらく一番多いのは4000~5000文字ほどの記事ではないだろうか。それを100記事となると,おそらく40万文字くらい書いたのだから,量だけ見れば満足である。一般的な文庫本だと3冊分ほど。

4月5月は,家計の見直し,保険の見直し,育休中の過ごし方やその後の人生設計(ライフプラン)のためにFP3級の資格を取った。その頃,NISAも始めたし,仕事をしていてはできないことという意味では,育休中だからこそできたと言えるだろう。

7月にブログをはじめて,100記事を目標にしてはいたが,達成できるかは分からなかった。たぶんできるだろうとは思っていたが,意外と1つの記事をかくのに2時間ほどかかる。短いものは1時間程度で書けるが3時間かかったものや日をまたいだものもある。

費やす時間もそうだが,何よりネタがあるのかと。そんなに書くことがあるのかと。1つの記事4000文字も何を書くのだと。

そんな中で助かったのは,読んだ本の感想を書くということだった。今まで読んだ本の内容をどれほど覚えていられるか(別に覚えておかなくていいのかもしれないが)と言われれば,ほとんど覚えていないものばかりだった。ひたすらインプットだけするのもしんどい。ひたすらアウトプットだけするのも無理がある。

その意味で,読書や育休中の出来事でインプットしたことを,ブログに書いたり奥さんに話したりするといったアウトプットは,自分の平衡感覚を保つためにはぴったりだった。どちらかによると精神衛生的にも健全とは言えなくなるからだ。

読書をすることはすごいとは思うけど,量や数が多ければいいというものではない。焼肉を食べすぎたときにみたいになる。吐き気がするのだ。適切な量を適切なタイミングで取り入れることが大事だと思った。人それぞれだとは思うが,ぼくの感覚的には,1か月6~13冊くらいがちょうどいいと思った。(こんなに幅があるのはその月によって取り入れるべき知識も違うし本によって単純にページ数のちがいがあるから)加えて,何らかの形でのアウトプットをしていないと,知識肥満(そんな言葉ない)になる。

自分のその時の心や時間のゆとりにもよるし,家族の状態にもよるので,冊数だけがすべてではないと思う。本を読むこと以外にも世の中はインプットの機会に溢れているから。ただ,右から左に流すこともあるし,自分の中にしっかり落とし込むこともあるし,中にいれたものを咀嚼することもある。

こういったことは自分の感覚でしかなくて人にはどうしても100%伝わり切らないものだと思うが,なんとなくは分かってもらえるのではないだろうか。

本を読むことにしても,似たようなジャンルの本をずっと読みたいときもあれば,いろいろなものをつまみ食いしたいときもある。毎日カレーがいいという人がいるように,二日として同じものを食べられない人もいるのだ。

ぼくは,2冊か3冊を並行読みすることが多かった。【小説・育児・ビジネス】とか【児童文学・自己啓発・エッセイ】とか。2冊の小説を同時読みということは絶対にしないが,読む本によって脳みその使う部分が変わるらしく,長時間読書しても飽きにくいとはぼくの実体験によるものだ。

今週は奥さんや子どもの予定や体調の兼ね合いで,育児本はちょっとなぁと思うこともあったし,気分的に仕事に関係しそうなビジネス書を読みたくなった時期もあった。どんな日常を過ごしているかで読みたい本も変わってくる。ものすごく重い小説を読んだら,心が洗われる児童文学を読みたくなる時もあった。要するに,その時の自分が何を求めているか無意識にそういう本を選んでいるのではないかとも思うのだ。読んだ本の影響で生活の中での自分の振る舞いや所作,言動が変わることもあるので,どちらが先かというのは鶏か卵かみたいな話にもなる。

自分と自分以外のすべてが関わり合い,時には混ざり合い,時には溶け合い生活している。仕事のない生活においては,自ら無意識にインプットもアウトプットも意識的に行っていた(矛盾ではない)のだと気づいた。

つまり,何が言いたいかというと,ブログを100記事かくことができたのは,日々の生活の中で,自ら成長したい,この貴重でかけがえのない育休ライフを無駄にしたくない,堪能したいと思っていたのだろう。たくさんのインプットに溢れていたのは自分の基本スタンスが【育休を味わい尽くす】だったからだと思う。そして,無意識の中ではあったが,意識的にアウトプットしようともしていた。奥さんとの会話を増やしたり,親と何度も会って話したり,ブログを書くという行為がそれを証明している。取り入れないことには出せないし,出さないことには新たなに取り入れられないから。

正直,ブログを始める前や始めた直後は,ブログで収益があるかもしれないとウキウキしていたし,その目的で始めた部分もあった。ブログで副業し収益を狙う人の大半は30記事も書けないし3か月も続かないと書かれていたので,途中辞めにすることだけは嫌だった。ある程度,決めたことはやり切りたいと思ったのだ。

100記事書いた今も収益などない。収益を増やしたいならある程度決まったジャンルで人が見たいものを書かなければならない。そんなのは嫌だと思った。それでも書き続けたのは,負け惜しみと開き直りとある種の自己満足だろう。ブログを書くのは収益のためではないと言い聞かせ,このかけがえのない1年間の育休を書き残しておくためだと。

自分の人生で育休をとるなんて思っていなかった。仕事をばりばりしていた頃から考えると,1年間もとるなんて考えられない。今でもよく考えてみれば異常なことだと感じられる。1年間も合法的に仕事を休むなんて考えられない。きっとこれは復帰してからより強く実感するのだろう。

50日後は職場にいる。あの頃と変わらずバリバリと一生懸命働いているはずだ。その時にどんなことを思いたい?【育休よかったな。育休に戻りたいな。】そう思うこともあるだろうが,きっと【今年も最高の一年にしよう】と思えるはずだ。

毎年,1月1日とか4月1日あたりに思う。【過去最高の1年にしよう】と。【良い1年にしたい】と。いつだって,今できることをやるしかないのだ。

育休中は自分なりに精いっぱいがんばったと言える。やりたいことをやれた。過ごしたい人と過ごせた。行きたいところに行った。最高の1年になるようにできることをやった。

100記事書いたことは自分の中で大きなことだ。内容はともかく決めたことを達成できたのだから。これほどまでに他人にはどうでもよく自分にとって重大なことがあるだろうか。

目標を達成するということは,その目標から解放されるということだ。解放されたからこそ思えることもある。自分は次に何をしたいと思うのだろうか。

読書100冊を目指しているが,これは無理だと思う。インプットに限界があるので,今以上のペースで本を読み続けるとただ文字を目で追うだけのつまらない読書になってしまう。90冊に到達できればいいほうだろう。数字に執着はしない。言い訳をしておくと,8月までの資格の勉強をしていた時期は月1.2冊しか読書できていなかった。本格的に読書の量が増えたのは8月からだ。半年で80冊なら読みすぎなのかもしれない。

ブログ100記事目に思うこと。

それは,今まで書いてきたブログのこと。なぜ100記事書きたかったかという言い訳のこと。日々の生活がそうさせてくれたこと。自分の中での大きな目標だったこと。目標という言葉自体は好きではないが,それがあるからなんとなくやっていけるというのはものすごく感じることができた。

ブログ100記事目に思うこと。一番思ったこと。

それは,やっぱりぼくはかくのが好きだということ。

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