5泊6日の家族旅行。子どもは3歳と0歳。移動手段は車。移動距離は約2000キロ。育休中だからできた旅行。
- 育休中だからこそ旅行に
- 友人の家に宿泊することは「お金と元気の節約」
- 宿泊させてくれた3人の友人紹介
- 「尊敬する」=「その人の価値観を取り入れること」
- あらゆる不安と心配を抱えて出発
- 育休中の身だからこそ節約を
- 心のもちようで変わる景色や時間感覚
- 「自分の現在地」を教えてくれる友人
- 自然が心を豊かにしてくれる
- 縁や運,偶然とも必然ともいえる宿命による決断
- どうしても心はほぐされたまま
- 人間の力が凝縮された一言「私のせいじゃないし!」
- 温もりは暑ささえも超えていく
- 初めて行った場所でも感じられる「懐かしさ」
- 日本一のおもちゃ屋さん「子どもの本とおもちゃ 百町森」
- 奥さんと交わしたかけがえのない会話
- 旅の終わりに起きた最悪な出来事
育休中だからこそ旅行に
育休中にやりたいことの1つとして,旅行があった。この育休期間中にたくさん旅行をしておきたい。1泊や2泊の旅行もいいけれど,もっともっと。育休中にしかできない旅行って何だろう。海外旅行とか?いや,それは選択肢に挙がってこなかった。しかし,仕事をしている時にはできないこと(つまり,育休中の今しかできないこと)をやっておこうと。今,ぼくが住んでいる場所は明かせないが,すでにこの育休中に2回ほど旅行をした。4月に神戸と岡山へ。6月に高知と愛媛へ。広島や山口にも行った。当然,当時はまだ旅行者支援の制度が継続中だったので,その制度を十分利用させていただいた。育休中だからこそ,できるだけ安価に旅行を楽しめるように。そして,今回8月は,愛知・岐阜・長野・神奈川・東京・静岡へ5泊6日の旅行を計画した。もちろん,育休を最大限生かすために,人の移動が落ち着くお盆休みが終わった後に。
友人の家に宿泊することは「お金と元気の節約」
8月になると,ほとんどの都道府県で旅行者支援制度が終わっていたため,制度を利用して安価に旅行ができなくなっていた。ということもあって,友人たちの家に宿泊させてもらうことにした。小中学校時代は,毎日当たり前のように顔を合わせていた友人も,今や年に1度会えば良いほうで,今後の人生で年に1回会うとしても残りの人生で会える回数なんて30回にも満たないだろう。自ら会おうとしない限り,会えないのだ。普段会えない友人に会いに行くことも,育休だからこそできることとして,奥さんも快く同意してくれた。後に詳しく書くが,友人宅に泊まったことが最もよかった。初めは友人にも会えるし,正直ホテル代の節約にもなるなんて考えしかなかった。最もよかったのは,心に元気をもらったことで,「疲れない」体を得られたこと。
宿泊させてくれた3人の友人紹介
今回3人の友人の家に宿泊させてもらうことにした。3人とも尊敬する友人だ。彼らについて少し書いておく。5泊目はホテルに宿泊したので,1~4泊目まで。
1泊目 空のような深海のような,どこまでも遠く高く深い男
1泊目に泊めてくれた友人は,2つ年上の先輩というか仲間というか同志というか,なんと呼べば彼との関係性を適切に表現できるか自分でも分からない。とても二文字の熟語では表せられないので,いくらか書いてみる。彼はぼくにとって,導いてくれる人でもあり,迷わせてくれる人でもあり,提起してくれる人でもあり,考えさせてくれる人でもある。答えだけは絶対にくれない人だ。「空」のような「深海」のような人だった。どこまでも広く,どこまでも高く,深い。崇高で気品に溢れている姿,泥臭く荒々しい姿,何を混ぜても淡く彩る白のような色でもあり,何を混ぜても変わることのない黒のようでもある。彼と出逢ったのは,ぼくが22歳で大学卒業をしてすぐの頃だった。就職せず,とある過疎地域で過ごしていたときだ。数か月間,築80年ほどの古民家で共同生活をした。一緒にご飯を作ったり,買い物をしたり,夜な夜な語ったり,まるで,家族のように同じ家に過ごした思い出がある。その意味では,同居人ということもいえる。その頃,ぼくに最も影響を与えてくれた人だった。
2泊目 「自然環境そのもの」自ら良き人間で在ることで周りを変える男
2泊目をさせてくれた友人は,小中学校が同じだった。ただ,その頃は,「同級生」でしかなく,「友人」と呼べるほどの関係はなかったように思う。当時の彼は,「精神年齢が高く,人望も厚い人格者でありながら人気者」だった。ぼくよりもずっと大人だった彼は,絵に描いたような「悪ガキ」の当時のぼくとは関わる必要も願望もなかったのだろう。「自然環境」のような人だった。良い意味で自らが周辺の大人にも,陰険な同級生に合わせることはしなかった。周りにいる人たちは,悪い意味ではなく,自然と彼に合わせる,それもナチュラルに。そんな彼とは,ぼくの精神年齢がようやく人並みになった高校時代に仲良くなっていった。同じ学校にいた小中学校時代には,関わらなかったのに,学校が別々になった高校の頃にようやく「友人」になれた気がする。特に,仲良くなったのは,彼が高校2年生にして,たった一人で1か月ほどのフランスへ旅に行ったことがきっかけだった。その事実は,家族としか旅行に行ったことのない当時のぼくには衝撃的すぎた。自分が思いつきもしないこと,到底できないことをやったのだ。それから,ぼくは彼に影響を受け,彼と対等に話ができる人間になりたいと思った。たぶん。
3,4泊目 人の中心にいるからこそ生み出す「引力」のある男
3泊目と4泊目をさせてくれた友人も,小中学校が同じだった。当時の彼との関係は,「同級生と友達の間」くらいだと思う。それよりもスポーツでぼくより先にいく「ライバル」のような面があった。とはいえ,ぼくは負けていたので,彼はぼくをライバルと思っていなかったと思う。この彼は,先ほどの友人とは違ったタイプだが,「スポーツができて勉強はしない人望はある人気者」だった。いわゆる「引力のある人」だった。人を惹きつける魅力を持ちながら,地球と月のように,適切な距離感に留めておき,すべてを語らないタイプの人間だった。彼の周りには自然と人が集まり,いつも中心にいた。ぼくは,一緒にいたいと思う反面,そこに入るのが嫌だった。運動ができて,スポーツでもエースで,学校内では目立つ存在だった。そんな彼とも当時は,決して仲良しとは言い難い関係だった。中学3年の頃,なぜか少しずつ仲良くなっていった。多感な時期,お互いに変わっていく環境の中で成長し,考え方も狭くなったり,深くなったり,広くなったりする時期である。高校受験も一緒にがんばった。今となっては,とても「がんばった」といえるほど勉強はしていなかったが,時間を共有できたことはとてもよかった。彼には彼なりの人生があるのだが,本当にものすごい経験をしている。17歳にして父親となり,高校を中退したが,働きながら勉学に励み,現役と変わらない年で有名私立大学に入学し,大手企業に入社した。この事実よりもその経緯がすさまじい。語れないほどの現実を家族とともに乗り越えたのだと思う。33歳の彼には高校生の娘がいる。彼のことも同級生ながら,尊敬している。
「尊敬する」=「その人の価値観を取り入れること」
そんな3人の友人(あえて友人と表記する)に,逢いに行き泊めさせてもらうことは,ぼくの人生においても,この上なく幸せなことだということがお分かりいただけるだろうか。実現させてくれた奥さんには本当に感謝しかない。心から尊敬する友人は,いますか。同年代でありながら,尊敬する友人がいて本当に幸せである。ぼくの人生の何割かは,彼らとの時間でつくられているし,ぼくという人間の人格形成,人間性のようなものも,彼らの価値観を真似てできたものでもある。そんな彼らに逢いに行けるこの育休には感謝しかない。これも育休だからこそ。
あらゆる不安と心配を抱えて出発
5泊6日の家族旅行。子どもは3歳と0歳。移動手段は車。すべての移動距離を合計すると約2000キロ。この文字を見るだけで,絶対しんどい。本当に実現できるのか。自分でもそう思った。奥さんもそう思った。子どもはどう思っていただろうか。さらに,宿泊場所は,5泊中4泊が友人のところ。絶対しんどい。大丈夫だろうか。ぼくは。ぼくたちは。ましてや,真夏。暑すぎる。「忘れ物はないか」というレベルの心配から,人の家に泊まること,長距離運転のこと,家族内のストレスによるケンカ,真夏の熱中症のことまで,ありとあらゆる心配や不安を抱えて,旅行に出た。朝3時に。
育休中の身だからこそ節約を
1日目を朝から有効活用するため,高速道路料金を安くするため。この2つの理由により,朝3時半に出発した。前日は22時には寝て,朝3時半ごろ家を出て,なんとか朝4時までに高速道路へ。こうすることで4000~5000円ほど高速料金が安くなった。それだけ遠くに行ったということだ。SAで休みながら,名古屋に着いたのは朝9時前だった。しんどさと引き換えに,朝から旅行先で時間を使えることは,子どもにとってはとても良い。寝て起きたら500キロほど離れた旅行先に着いているのだから,ワープしたようなものである。どこにお金をかけたいか,何をリターンとしてリスクを取るのか,お金は無限にあるわけでもない。育休中だからこそ,考えた。体調面,時間の面,お金の面,お金をかけるべきところはかけたいと思うからこそ,節約できるところは節約する。自分の価値観が現れる。名古屋で奥さんの願望を満たし,午後からは友人が住む岐阜の山奥へ。
心のもちようで変わる景色や時間感覚
都会から田舎への道は,広く見えた。それは,日常から離れて得た解放感のおかげなのか,ビル群を抜け,広々とした山道を往く経路のおかげなのか,懐かしい友人に会える気持ちの高まりからなのか,いずれにせよ,普段しないような話題で盛り上がった奥さんとの会話は楽しかった。何時間走ったか分からないが,あまり時間は感じさせなかった。本当に,相対的だと思った。時間も気分も景色も。絶対的なものがあるとすれば,この先にある友人への尊敬の念だろうと。山道をくねくねと,時折見せる壮大な景色に心を躍らせながら,寝ている子どもをバックミラーでちらちら視界に入れながら,山道を延々と。
「自分の現在地」を教えてくれる友人
およそ5年ぶりに再会した友人が当時と変わっていたのは,2児の父親になっていたということだ。無論,ぼくのほうこそ変わったことと言えば,結婚をし,2児の父親になっているということだ。こんな大きな変化の5年間に,自らの話す言葉も考え方も生き方も変わらないはずはない。しかし,その友人は,ほとんど変わっていなかった。人生に,生き方に,悩み抜いて生きている彼は,悩むことさえ贅沢だと言わんばかりに(絶対にこんなことは言わない人間である)相も変わらず苦しみながら生きていた。彼と話すと,いつも自分の「現在地」を教えてくれる。生き方も価値観も影響を与えてくれた彼の言葉を聴いていると,なんとなくではあるが,「今の自分」が見えてくる。今の自分が彼と話すことで,何を感じるのか,何を得るのか,自分の中に在る何に触れるのか,言葉にならないようなことが,少しだけそのフォルムを,ぼんやりと形を帯びてくるのである。彼の友人の奥さんとは,おそらく10年ぶりくらいに再会した。懐かしかった。ぼくを心配してくれていた時期もあるらしかった。奥さんの作る料理は,食べたことのないものばかりで,安心と温もりを与えてくれるものだった。あまり話す時間も機会もなかったが,本当に逢えてよかった。
自然が心を豊かにしてくれる
翌日,岐阜から長野へ。隣県の山越えを甘く見ていた。子どもは数十分おきにSAを寄らねばもたない。車では寝るしか選択肢のない0歳の子があまりにもかわいそうなので,SAで解放して動き回らせてあげなくてはいけない。いつまで経っても,ナビの所要時間が変わらない。いつ見ても3時間くらい。ただ,その道中でも,雄大な自然,大地,山々に魅せられたかと思うと,負けてなるものかと,圧倒的な存在感を誇る入道雲。雲一つない空こそ心を澄みわたらせてくれると思っていたが,この夏の,知らない土地の,この入道雲こそ,日常生活においては手を伸ばそうにもその居場所さえ知り得なかった心の奥を刺激し,この旅を豊かにしてくれた。
縁や運,偶然とも必然ともいえる宿命による決断
いつもより広く温かく深く柔らかくなった心のまま,長野に到着した。美術館に立ち寄り,お風呂屋さんを経て,友人宅へ。この友人とは,年に1度以上は会っている。夏もぼくのいる地元に帰ってきた際に2回会っていた。先ほどの友人にも言えることだが,この尊敬する友人たちが「この土地で生きていく」と決めた場所に行けたことが,本当に光栄なことである。人は,生きていくうちに決めなければならない。自分の生きていく場所を。物理的にも,精神的にも。ぼくは生まれてから18年間地元にいて,大学で上京。社会人1年目は,徳島にいて,2.3年目は東京に再び東京へ行き,4年目以降はまた地元に戻り今に至る。地元で生きていくと決めた背景は割愛するが,別の場所で生きていても何ら不思議ではない。誰もがそうであるように,縁や巡り合わせ,もちろん運も含めた偶然とも必然ともいえるような自らを取り巻く環境によって,「生きていく場所」「ともに生きていく人」などを決めていく。だからこそ,彼らが覚悟をもって決めた「生きていく場所」にお邪魔できたのは本当にうれしかったのだ。その友人宅でも,奥さんの料理をご馳走になった。手際よく家庭的な料理を振舞ってくれた。夜,子育てについてのアドバイスをくれたり,昔の話をしたり,好きなことの話をしたりと,昔,友達の家に泊まりに行った日の夜を思い出した。
どうしても心はほぐされたまま
翌日,いよいよ東京へ。ジブリ美術館を経て,神奈川県に住む友人の家に2泊する。道路とはおもしろいもので,景色や走る車,道路や標識,SAの感じによって,なんとなく「都会が近づいてきたな」と分かるものだ。ぼくが住んでいる地域では考えられないほどの車線の数。車のナンバープレートには,全国様々な地名。ぼくの車のナンバープレートに記されている地名は他にはなったことが,逆に嬉しかった。この道中でも,見たことのない空や雲,自然に圧倒された。どうしても心はほぐされたままだった。3日目になると,疲れが出てくるものだと確信していたが,不思議と疲れていなかった。友人の家に泊まることで休めないかもしれない,気が休まらないかもしれないと心配していたが,真逆だった。ホテルに泊まるよりも,友人宅に宿泊したほうが「疲れない」のだ。これは,ぼくの奥さんも同意で,びっくりした大発見だった。今後,旅行するときは,友人宅に宿泊させてもらうことをおすすめする。もちろん,自分とその友人の関係性や温かく迎えてくれたその家族,奥さんの心の広さが大前提としてあるにしても(というか,それがあってこそ)。全然,疲れていなかった。むしろ,普段よりも元気だった。友人やその家族から元気をもらっていたとしか言いようがない。受け入れてくれた友人たちは大変だっただろうが,本当にもてなしてくれた。
人間の力が凝縮された一言「私のせいじゃないし!」
そんな中で疲れがピークに達するであろうと目算した3泊目と4泊目。むしろ,一番元気になってしまった。それは,間違いなく,宿泊させてくれた5人家族のおかげだった。実は,宿泊させてくれた彼と彼の奥さんとは,幼稚園から小中学校も同じだった。同い年(33歳)でありながら高校生の娘がいる。小学生と保育園の子どももいる。「○○(高校生の娘の名前)が早く生まれて大変だったよ!」とその娘に向けて笑いながら話す父親,それに対して「私のせいじゃないし!」とこれまた笑いながら返す高校生の娘。なんて平和で愉快な家族だろうと。当時の彼の状況(あえて苦労とは言わない)を思うと,絶対に苦しかったし,しんどかったし,悩んだと思う。そんな中で,子どもができた喜びもあったと思う。ぼくの足りない脳みそでは想像を絶することではあるが,そういった経緯を考えると,感慨のようなものがあったし,この20年のことを思うと感動的ですらあった。それから17歳という年齢で親となり,高校を中退し,働きながら,勉強をし,有名大学に進学し,子育てと仕事,学業を両立させた彼と彼の家族の生活は生半可なものではなかっただろう。33歳の親に17歳と8歳と4歳の子。本当に「太陽」そのものだった。もの凄い笑顔と優しさ,温かさで迎えてくれた。「私のせいじゃないし!」その一言がたまらなく嬉しかった。今までのすべてを肯定してくれた言葉だった。
温もりは暑ささえも超えていく
そんな彼らとディズニーランドへ。他人の家族と一緒に丸一日以上も行動するとなると,どこかしら,しんどくならないものかと心配したが,そんなことは全くなかった。何一つストレスはなく,ただただありがたく,楽しませてもらった。朝9時半ごろ,子どもたちが部屋に押しかけてきて,うちの子どもと遊んでくれたり,高校生のお姉さんに髪を結ってもらったり,朝から笑顔にしてもらった。8月中のディズニーランドは暑かった。その暑さに負けない彼らの家族の温もりで,最高の1日にしてもらった。温もりは寒さに対するものだけでなく,暑さにも勝る最高の優しさであると学んだ。正直,子どものこともあるし,翌日のこともあるので,夜のパレードまで,滞在するつもりはなかったが,「うちの家族は,楽しみ尽くすから」とクールな彼が言ったのは驚きであり,新鮮でもあった。そのおかげで最後の最後まで楽しむことができた。さすがに,翌日は疲れが出るかなと思ったが,むしろ元気になっていた。何がどう作用すれば,こんな感覚に,こんな気持ちに,こんな体調になるのか不思議で仕方がなかった。翌日も,朝から部屋に来て元気をくれた。たとえば,自分の気持ちとか感情とか容器のような形だったとしたら,やさしさと温もりみたいなもので,溢れかえっていた。自分の中で,溢れかえった優しさや温もりは,そのまま自分の奥さんや子どもに与えることができたような気がする。そして,もっとそのやさしさや温もりを入れたくなり,自分の器のようなものが深く,大きくなった気さえした。奥さんの心の容器も同様にあふれかえったようで,ぼくと分け合ったことは言うまでもない。
初めて行った場所でも感じられる「懐かしさ」
翌日は,今回,唯一奥さんのママ友のお宅にお邪魔することになっていた。ここでも,そのやさしさや温もりに浸ることになる。旦那さんが転勤の多い仕事で,2年ほどぼくが現在住んでいる町に住んでいた頃,奥さん同士が仲良くなった。ぼくの奥さんは,そのママ友が大好きで,仲良しになったため,家族で出掛けたり,うちの家に招いてバーベキューをしたりしたこともあった。せっかく仲が良くなったのに,またも旦那さんの転勤で神奈川県へと旅立った。彼らからすると,地元に近づいてよかったのだが,僕の奥さんはさみしそうにしていた。というわけで,今回逢いに行った。ママ同士は,当然仲が良いのだが,人付き合いが苦手なぼくにとって,旦那さんはものすごく人当たりがよく,見るからに「良い人」という感じで,ぼく自身も好きだった。大人になればなるほど,新しく人と関わりをもつことに前向きになれないのは,男だからだろうか。自分の気持ち次第なのだろうか。正直,今更新しく友達が欲しいとは思わないし,自ら友達探しをする気にもなれない。昔からの大切な友人が数人いてくれて,たまに逢っては,遠くない未来や近すぎない過去の話で盛り上がる,そんなささやかな間柄で十分なのだ。と思っていて,あまり積極的に,主体的に,初対面の人と関わりたくもないのだが,この旦那さんは,本当に話しやすくて,普段は自分が閉ざしている割と厚めの扉も開けたくなるような方だった。まだ会ったのは3回程度なのに,昔の友人に再会するような気持ちで会うことができた。
日本一のおもちゃ屋さん「子どもの本とおもちゃ 百町森」
最終日は,静岡県にあるおもちゃ屋さん「子どもの本とおもちゃ 百町森」に行った。ここでようやく育休ブログっぽい内容になっていくわけだが,育休に入り,初めて「子育ての世界」に少しだけ足を踏み入れ,その世界を知ることができた。以後,その世界のすばらしさやすさまじさは伝えるとして,「子育ての世界」について学んだ現時点で思っていることを絡めて書こうと思う。この「百町森」というおもちゃ屋さんは,ヨーロッパの木製玩具やボードゲーム,絵本などを取り扱う日本一のおもちゃ屋さんだと勝手に思っている。他にどんなおもちゃ屋さんがあるのか,大して知らないし,当然,全国すべてのおもちゃ屋さんを訪れたわけでもない。それでも,自分が現時点で,子育てについて学んだ知識,子育てについて出逢ったものの中から判断すると,日本一なのである。「子育ての世界」を学ぼうと,知ろうとしたきっかけを与えてくれたのは,奥さんであり,子どもたちである。どんな世界にも,答えは無数にあり,終わりがない。間違いはたくさんあるけれど,絶対の正解というものもない。だからといって,間違いは決して駄目なことでも悪でもない。「子育ての世界」を知り,「おもちゃや絵本の世界」にも,どっぷりはまりつつあるぼくは,この「百町森」に3時間ほど滞在した。子どもが遊べるプレイオンという部屋もあり,子どももしっかり楽しめる。オーナーの柿田さんとお会いでき,実際に話せたことは,うれしかった。本当はもっともっと話を聞きたかったが,忙しそうだったので,彼の書籍をくまなく読むしかない。2万円ほどおもちゃを買ってしまったが,後悔はない。後悔しないように子どもと遊び尽くせばいいだけだ。
奥さんと交わしたかけがえのない会話
前日,静岡では,唯一ホテルに宿泊したが,やはり疲れた。家族だけでホテルに宿泊するほうが疲れるのも実証された。旅の最終日ということもあったのだろう。それでも,お世話になった友人たち,その家族たちにもらった元気は,友人たちによって零れ出るほど給油され,尽きることはなかった。自動車でのトータルの走行距離は2000キロでガソリンも4回ほど入れたのに。静岡から一気に6時間ほど運転して帰ってきた。家に着いたのは,21時を過ぎていた。今回の旅行ができた本当によかった。尊敬する友人たちとの再会がこの旅を最上級にしてくれた。5泊6日の旅行なんてそうそうできるものではない。しかもすべて車で。きっと飛行機や新幹線,グレードの高い良いホテルに宿泊したのでは,決して得られないものがあった。そっちの旅行も経験できれば最高なのだろうが。今回の旅行こそ,人生最高の旅行になったことは言うまでもない。長距離運転の車中では,奥さんとたくさん話ができた。それも,見渡す限りの大自然の中を時速80~100キロほどで駆け巡る。もちろん,脳みそも心もそれに近いスピードで耕されていく。確実に,旅行に行く前よりも,仲良くなったし,互いを知れた。今後も人生を生き抜くパートナーとして,子どもたちを育て上げる相方として,家族としての力が高まったと思う。今後はもっと温かい心で家族と接したいと思った。
旅の終わりに起きた最悪な出来事
6日ぶりの家。家に帰ってきて,最悪のことが起きていた。異変に気付いたのは,ぼくだった。帰りにSAで買ったおにぎりを冷蔵庫に入れようとした時だった。!?何やら嫌な予感がした。ほんの少し。ほんの少しだけ,冷凍庫が開いていたのだ。冷や汗が出てきたのは,開いていた冷凍庫の隙間から漏れ出る冷気のせいではないことくらい容易に気付いた。すぐさまスマホで「冷凍庫 あけっぱなし 電気代」と検索している自分がいた。6日前の出発直前,追加で保冷剤を取り出していたのは自分だということを思い起こした。言うまでも無く,冷凍庫にあった食品は捨てる羽目になった。帰ってきて最初にやったことは,水浸しになった冷凍庫を洗ったことだった。激怒したい気持ちを必死に抑えていた奥さんが,何も言わず片づけてくれたのは,「無言の怒り」でもあったのだろうが,それ以上に,旅行で与えてもらった友人たち家族の温もりと,旅行で育んだ家族愛ということにしておこう。
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